2018年11月01日

「ジャカランダ」への小さな恋の物語

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シビルNPO連携プラットフォーム サポーター
NPO法人SLIM JAPAN理事 塚原 健一


CNCP通信連載中のシドニー視察旅行記も、各人レポートは諸分野に及び、いよいよ最終回も近くなった本号では、本来の研修とは道を外れますが、私を含み旅団員全員が日本国内生活圏では普段経験出来ない様な日々をレポートしてみます。
豪州渡航を経験されたことのある読者の皆様は、どれ程の方がこの花のご見識をお持ちでしょうか。 2度目の渡航となる私ですが、この初体験を生涯忘れる事が出来ないでしょう。原産地はブラジルやアルゼンチンで花言葉は「名誉」や「栄光」と表現するとのこと、その名は「ジャカランダ」、別名日本では「紫雲木」や「桐擬き」とも呼ばれています。今回、旅団員からの強い要望も有り、研修旅団長SLIM JAPAN 有岡理事長が、当時(30年前?)自宅のあった豪州NSW州シドニー北部のキララへ案内して頂き、渡航前に聞いていた「ジャカランダ」の「花」に出会う事が出来ました。この素晴らしさをどの様な言葉で表現すればご理解頂けるかと苦悩しますが、花弁は一見したところ「梵鐘」が思い浮かび、よく視るとそれより細身で八頭身、まるで洒落た風鈴の様でした。(右写真) 

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花の色は「淡紫」から「濃紫」と多様であり、それは樹齢で異なるのか、木高で異なるのか、未解決のまま唯々見惚れて時間が経過します。その「ジャカランダ」並木道に沿って広がる名門ゴルフ場の名は、現地を車で案内してくれたKam Taraさんから聞いてはいましたが、放心状態に近い私には残念ながら記憶に残っていません。いわば神宮外苑の「銀杏並木」の如く、約200M〜250Mの道路両脇に咲き誇る木々は、外苑とは多少異なり等間隔ではないが、それぞれが自慢げに開花しておりました。まるで日本の春爛漫で、かつてはこの通りを「ジャカランダ通り」として騒がれた由緒ある一路であったそうです。その時代有岡理事長は樹木下で、花見で一杯二杯と騒いだかどうかは未確認でしたが・・・・。その頃に比べずいぶん数が少なくなったとのことですが、厳しい見方をすれば樹木管理や保守整備の欠落か、環境問題か、所々幹に痛々しく大小傷があり、枯れてしまったのもあるのでしょう。保湿や保水、そして冬季の通気性を考慮した幹巻など、日本の様に手入れするのかが気になるところでした。いくつか課題が残るがしかし、それでも元気に咲き誇る「ジャカランダ」は、下の写真の様に日本の桜同様、側道脇豪邸の庭先のそこかしこに、といったところでした。

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美しい花達を愛する人間の優しい気持ちは、おそらく世界共通と改めて確認する事が出来た。他方、ゴルフ場に目を移すとコース間のラフ樹木にも「ジャカランダ」は、ショットポイントになる様な位置に鎮座し、ゴルファーの目を楽します事になるのでしょう。フェアウエイ緑とのコントラストが、花色こそ異なるが日本の「さくら」を連想させてくれました。また、同行のS女史、とM女史、お二人も気持ちが高揚した一時であったのでしょう。一箇所では花欲足りず、私達は再び有岡理事長、Kamさんの案内で「キリビル」へ移動、そこはまるで田園調布を連想する閑静な住宅街、傍には小さな公園も有りとても空気が美味しく感じ、感動する私達へのご褒美として「ジャカランダ」から柔らかく淡い香まで頂いた様な気がしました。(下写真)

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(余談@:ここなら残す人生移住しても損は無いと、同行の宮下氏にテレパシー送信)  
(余談A:写真左の紳士はいつものハンチング帽、しかし背中が疲れの現れか)


隣を見ると「S女史・M女史ともに」素晴らしいを連呼で「ジャカランダ」達にうっとり。自身の目にコピーするだけでは事足りず、さかんにThe shower flash。豪州では各家庭の樹木でありながらも、街路樹とし広く各地で登用される様だ。そう、日本の「さくら」同様一年   1回の短い開花生涯と似ている(ジャカランダは桜の約2倍の開花寿命有り)。見守ってやりたいと思う「優しい人間の心」と共通するから。つい昔のメロディーを思い出しました、「♪ちいさい花にくちづけをしたら・・・」その優しいおじさんになりました、そう初恋です。
その曲の歌詞にもありますが、「♪私を摘んでお家に連れてって・・・」ではありませんが、S女史に「ジャカランダ」の種子を拾って頂きました。多分皆様からそれとなくご下命頂いたのか、それとも自身で思い込んだのか定かではないが、日本に持ち帰りこの思い出と共に、キララで拾った「命」を大切に、東京で育ててみようと思いましたが、残念ながら植物検疫により不可能。確かに気候的には難しく難易度は高いが、日本国内で種子を入手し先駆者の宮下事務局長のご経験をご教示いただき、自宅狭庭に「濃紫」の1ポイントを「小さな恋心」として咲かせてみたい。
市内移動中の車窓からも、そして、カトウーンバへの道中にも「ジャカランダ」は美しい姿を見せ堪能しました。これから豪州観光旅行に向かう皆様には是非、10月末〜11月中をお奨め致します。最後になりますが、AUSTRALIA KUMAGAI橋爪所長様 秦泉寺様本当に有難うございました。

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荒川下流における市民の活動

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シビルNPO連携プラットフォーム理事 事業化推進部門
シンクタンクチーム座長 三井 元子


平成30年、CNCPは、設立来これまでの活動を振り返り、ミッションに応えるべく「土木と市民社会をつなぐ」ことを基本テーマに活動を見直すと共に、土木学会との連携を「部門」として強化し、4部門の協働を強めるための「連絡調整会議」を設けたところである。
私の来歴からすると、逆に「市民社会と土木をつなぐ」活動を行ってきたので、今回はそのことを述べてみたい。

1977年頃、私の生家のある東京都足立区千住5丁目では、当時国道4号線(日光街道)の渋滞で有名となっていた「千住新橋」の拡幅と掛け替えに伴い、そのバイパス道路を旧日光街道に引くという案が持ち上がっていた。私の母は、数人の有志と共に「地域環境を守る会」を立ち上げ,その事務局長を引き受けていた。母は、深窓の令夫人とも言うべきおとなしい性格であったが、この工事にはどうしても納得がいかなかったのだろう。当時大学生であった私は、その助手として住民の署名を集めたり、区役所で開かれた会議において地域を代表して発言したりしていた。
署名の趣旨は、「歴史的価値のある旧日光街道を国道4号線のバイパス道路にすることは、歴史の軽視である。また国道の渋滞を避けて自動車が多数入ってくれば、狭い旧街道では事故が多発しかねない」というような内容であった。
当時問題となっていたのは、「町会長に説明し同意を得たから地元説明は終わっている」と考える行政の姿勢であった。調べてみると、法的には町会長は,町を代表して会議には出るが、町民への説明義務はなかった。町民からすれば、寝耳に水の工事というわけである。
4〜5年の闘いの後、「道路は作るが遊歩道として使用する」いう合意がなされ、通過自動車が入ってくる計画はなくなった。その後、足立区は旧日光街道の歴史的価値を初めて認め、芭蕉が奥の細道へと旅立った最初の街道であるとして商店街の呼称を「宿場町通り」と改め、案内看板を立て始めたのである。現在では、毎日曜日に歴史散歩の方達が、のんびり歩く姿が見られるようになった。もちろん、そんな運動が街道を守ったことは知るよしもない。

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現在の宿場町通り

結婚し、長女が小学校1年生になった1989年頃から、私は、足立区消費者グループ「せせらぎグループ」代表として河川の水質調査などに参加し、消費者展で発表したりしていた。
すると地域の環境団体からネットワークを作って、もっと環境問題を普及啓発したいと相談があり、「足立区環境ネットワークちえのわ」を立ち上げ代表となった。親子で学ぶ環境教室を主催し,毎年180名位の参加者を集めていたので、足立区行政からも注目された。
1993年、建設省(現国土交通省)が、河川環境保全モニター制度を創設し委員を募集していた為、私は足立区から推薦されて、荒川下流河川環境保全モニターとなった。荒川放水路に対しては、すぐそばで育ったと言うだけであまり思い入れはなかった。なぜなら,私が小学生のころの荒川は、高度経済成長期で川がどろどろに汚れていた時代で,あまり良い思い出がなかったからだ。
1996年(平成8年)、荒川下流河川事務所(以下、荒下事務所)では、おおむね50年先を想定した「荒川将来像計画」を作ることとなり、将来像計画全体構想書(案)と沿川2市7区の将来像計画(案)9冊を作り、各市の本庁舎のみならず、すべての出張所で開示し、意見募集を行った。まだ、パブリックコメントも始まっていない時代にである。私は、学生時代を思い出し、これで公共事業に一般の市民意見が反映できるようになるならば、世の中が大きく変わると思い夢中になった。私たちは、荒川で活躍していた市民団体と何回か勉強会を開き、「市民版将来像計画」を作って提出し、官民共催のシンポジウムを開いた。さらに、子どもたちにも将来像を発言してもらいたいと考え,3回の荒川歩きを行い、アンケートを集めた後、足立区役所において「荒川将来像計画足立こども会議」を開催した。足立区にとって、初めてのこども会議であった。
せっかくできあがった将来像計画が絵に描いた餅にならないようにと,荒下事務所に将来像計画の補完策を聞いたところ、事務所長は、各市区に「荒川市民会議」を設置することを決めてくれた。それぞれの市区で、公募された市民と沿線自治体と国土交通省が一同に会してリーディングプロジェクトの実施計画について話し合う市民会議が始まった。

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その後1997年(平成9年)、河川法改正があり、日本の河川行政は大きく変わった。河川を治める理由に「治水・利水」に加え、「環境」が入ったのと同時に、「地域の意見を反映した河川整備を推進」という一文が加わった。白書には(例えば荒川下流のように)という解説も入っていたのである!
そのころ「せせらぎグループ」では地元で全国一級河川ワーストワンの汚名を15年間も授かっていた綾瀬川で水質調査を行っていた。コンクリート3面張りの河川でどのようにしたら、生き物が帰
ってくるの来るのだろうと模索していた。越谷の礫間浄化施設を見学したり、多自然川づくりによる直接浄化が水質をよくすることを知り、綾瀬川沿川に適地がないかどうかを探した。そして、良好な湿地を形成していた民有宅地を見つけ、買い取りを国に提言した。その後、川とつなげたビオトープを作ってもらい、綾瀬川浄化に役立てることになるのだが、どうやって行政を動かしたのかについて、また別の機会にお話しすることにしよう。
ところで、パブリックコメントは、今では各省庁で常識のように行われているが、形骸化し、意見がなくても実績さえ残れば良いという使われ方をしている事が多い。市民がせっかく手に入れた権利を、望みを、私たちは失ってはいけないし、行政も真剣に意見を募集して協働・協創の社会を築いて行ってほしい。それがこどもたちの未来につながっていくのだから。
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市民社会を築く建設大賞2018 受賞式

(株)日刊建設通信新聞社編集局 谷戸 雄紀


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シビルNPO連携プラットフォームは、10月2日に東京都新宿区の土木学会講堂で、建設分野でのソーシャルビジネスや企業の共通価値の創造事業の普及を目的に社会的課題の解決を図る優れた事業を表彰する「市民社会を築く建設大賞2018」の受賞式典を開きました。優れたソーシャルビジネスや企業の共通価値の創造事業が対象の「ベスト・プラクティス賞」の最優秀賞は日本大学コンクリート工学研究室の「みんなで守る。『橋のセルフメンテナンスふくしまモデル』の構築と実践」、優秀賞は建設技術研究所の「お江戸日本橋舟めぐり」、那賀ウッドの「地域材の活用を通じたインフラ整備・地域活性化事業」、優れた事業企画が対象の「ベスト・アイデア部門」は飛島建設の「非常食循環システム付き宅配ロッカー」、優秀賞は土井麻記子氏(エックス都市研究所)の「住環境リスク評価と住環境リスク情報プラットフォームの構築」で、各代表が表彰され、プレゼンテーションを行いました。
冒頭、あいさつした山本卓朗CNCP代表理事は「建設業は本業そのもので社会に貢献している意識が強いが、時には地域に受け入れられない公共事業もあり、企業は社会貢献をどのようにすべきかより追求する必要がある」と述べました。続いて選定委員長の粉川一郎武蔵大学教授が各活動を講評しました。日本大学コンクリート工学研究室の取り組みは「市民とともにインフラ点検をすることは今の時代にあった素晴らしい事業」、建設技術研究所の活動は「社会インフラに対する気づきが得られる」、那賀ウッドの事業は「地域材の活用により環境問題解決と地域のビジネスをつくっている」、飛島建設の事業企画は「1つで複数の課題解決を体現している」、土井氏のアイデアは「市民に安心を与える重要な意義を持つ」とそれぞれ評価しました。
 その後、日本大学工学部の浅野和香奈研究員、建設技術研究所の宮加奈子国土文化研究所研究員、那賀ウッドの小谷満俊社長、飛島建設の科部元浩企画本部新事業統括部新事業開発チーム課長、土井氏に山本代表理事から表彰状と副賞が手渡されました。受賞者を代表して浅野氏は「受賞をきっかけに市民とインフラメンテナンスの距離を近づけ、共有財産としてみんなで守る仕組みづくりにこれからも取り組んでいきたい」と謝辞を述べました。
プレゼンテーションでは各代表者が受賞活動の概要を紹介しました。日本大学の浅野氏は市民と協働した橋のセルフメンテナンスへ向けてチェックシートを作成したところ、住民だけではなく高校・大学の教材やインハウスエンジニアの巡回点検などにも活用されていることを報告しました。建設技術研究所の宮氏は東京都内の中小河川を巡るクルージングで社会インフラが果たす役割などを伝えるという狙いを紹介し、これまで1万人以上が利用し、市民の理解や社会インフラの認知度向上につながっていることを明かしました。那賀ウッドの庄野洋平統括マネージャーは木材加工製品づくりを通じて地域への資金還元や地域内連携による新製品や事業開始などの取り組みが活発化したことを紹介し、今後も「木づかい」による地域活性化や循環型社会の構築を進めたいと話しました。

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続いて、飛島建設の科部氏は非常食を日常食として販売する機能を装備した宅配ロッカーにより防災備蓄品の普及と再配達の削減を実現し、企業のBCP対策にもつながることを紹介しました。土井氏は地方自治体の化学物質管理の住環境リスク評価と住環境リスク情報プラットフォームの導入で地域の環境情報を市民に提供することで、地域の環境条件に納得した住まいの選定ができることなどを解説しました。
式典終了後は、第2部として粉川教授に「シビルNPOへの提言 民間非営利セクターだからできること」と題して記念講演をしていただきました。その後、交流会が開かれ、出席者が交流を深めました。
posted by CNCP事務局 at 00:00| Comment(0) | 教育研修、広報等