私が勤務している株式会社小野工業所は福島市の西側で吾妻山連邦の麓に位置し、周辺には高湯温泉、土湯温泉、飯坂温泉などの温泉も多く、また、昨年度の日本酒品評会では金賞受賞銘柄数が6年連続で日本一となり、おいしいお酒には事欠かない環境です。私にとっては2度目の福島で、1度目は1977年から1980年にかけて東北新幹線の工事に伊達郡伊達町(現:伊達市)で携わっていました。その頃、歴史に疎い私は伊達と言えば「伊達政宗」で仙台ではないのか?伊達町との関係は?などを疑問には思っていましたが日々の仕事に追われ、そのまま過ぎて今日まで来てしまいました。2度目の勤めにあたって昔の疑問を思い出し、よくご存じの方もいらっしゃると思いますが、私なりに少し調べてみましたので、紹介させていただきます。

会社付近から見た吾妻山連邦
10世紀の初頭に全国の各郡において人口や経済力を平均化するため、分割や再編が行われました。その中で、福島盆地域ではそれまでの信夫郡が分割され伊達郡が作られました。当時の読みは「いたち」「いたて」「いだて」などと呼ばれていたようです。また、慶長18年(1613)に支倉常長がローマ教皇に渡した伊達政宗の書簡には「Idate Masamune」とあったそうです。
文治5年(1189)の夏、源頼朝が率いる大軍が奥州平泉の藤原泰衡を討つために伊達郡まで侵攻し、伊達郡国見町の厚樫山(国見山)山麓で決戦となりました。この合戦で泰衡配下の信夫庄司佐藤氏を倒したのが関東武士の中村入道念西で、中村氏は頼朝から恩賞として伊達郡を拝領し、姓を「伊達」に改め、この地に住むようになりました。初代の伊達朝宗は高子岡城(伊達市保原町)を構え、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し亀岡八幡宮を山上に祭りました。その後、伊達氏は居城を梁川、桑折、米沢などに移し、17代の政宗のときに、豊臣秀吉によって伊達郡を含む旧領を召し上げられ、天正19年(1591)に岩出山城へ、慶長8年(1603)に仙台城へと移り、現代に至っています。伊達家には「政宗」と名乗る人物が二人いました。一人は「独眼竜」として広く知られている17代政宗で、もう一人は伊達家中興の祖といわれる9代政宗です。文武の才に恵まれた9代政宗にあやかって17代政宗が名付けられたそうです。

6年連続金賞日本一のお酒
伊達市内や周辺には「高子岡城跡」「梁川八幡神社」「梁川城跡」「霊山神社」など多くの伊達家関係の名所、旧跡があります。休日の散策場所には事欠かない状況です。
次にかつて新幹線工事に携わっていたころの伊達郡伊達町が伊達市になった経緯についても調べてみました。平成の大合併のときに伊達郡の伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町、桑折町、国見町、川俣町、飯野町の9町による郡全体での合併が検討、協議されましたが、川俣町と飯野町は福島市との合併検討のために抜け、その後、桑折町と国見町が抜け、残った5町での合併となりました。また合併後の新市名については北海道に伊達市があることと自治省において既存の市との同名は避けるようにとの通知があったことから、「伊達市」を除くことで公募され、1位となった「だて市」のほか、「桃花市」「あぶくま市」「新伊達市」「伊達みらい市」などが上位の候補でした。新市名としては公募で1位となった「だて市」が選定されましたが「既存市から異議がなければ問題ない」との自治省の見解から、詳細な経緯は不明ですが、最終的には公募で除いていた、漢字表記の「伊達市」に決定され、今日に至っています。福島はこれからが一番いい季節です。梅、桜、梨、桃、林檎などの花が咲き乱れ、おいしいお酒を酌み交わしながらの花見は最高です。皆様、是非お出かけください。

高子城跡 山上の亀岡八幡宮

高子岡城跡

梁川八幡神社