2020年02月01日

第1回 シリーズ開始にあたって

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シビルNPO連携プラットフォーム 常務理事 土木学会連携部門長
土木学会 教育企画・人材育成委員会 シビルNPO推進小委員会 委員長
メトロ設計梶@技術顧問
田中 努


CNCP通信Vol.57〜69の12回に亘って掲載された「土木と市民社会をつなぐ」シリーズに続き、新たに「身近な土木遺産」シリーズを始めます。

1.「土木遺産」と言うと・・
「土木遺産」と言うと、厳密には、土木学会が推奨した「歴史的土木建造物」を指します。土木学会は、平成12年度に「選奨土木遺産の認定制度」を創設し、昨年度までの19年間に、計394件(年平均20件)を選奨しています。
土木学会は、この顕彰の結果として、@社会へのアピール(土木遺産の文化的価値の評価、社会への理解等)、A土木技術者へのアピール(先輩技術者の仕事への敬意、将来の文化財創出への認識と責任の自覚等の喚起)、Bまちづくりへの活用(土木遺産は、地域の自然や歴史・文化を中心とした地域資産の核となるものであるとの認識の喚起)、C失われるおそれのある土木遺産の救済(貴重な土木遺産の保護)などが促されることを期待しています。
ただし、公的機関や学協会による文化財などの指定を既に受けていないことを原則とするとされているので、著名なものは「土木遺産」にならないとも言えそうです。

2.土木と市民社会のつながり
CNCPと土木学会は、「土木と市民社会をつなぐ活動」の質と量を拡充するために、いろいろな検討をしています。
端的には、土木の話を土木関係者とだけしていても、市民とはつながらないので、市民と話す「場」が必要です。土木学会の「土木広報センター」では、インフラ整備・土木史等の話や映像を、土木コレクション・土木カフェなどのイベントやFacebook・ラジオなどで発信しています。
CNCPと土木学会のシビルNPO推進小委員会では、土木と市民社会をつなぐ活動をしている様々な人たちと「友だちの輪」を作ろうとしています。市民が土木に興味を持った時に容易に知りたい情報が得られる「場」、土木からの勝手なPRでなく、市民のQuestionに正しいAnswerを提供する「場」をつくるとか、土木を知らない市民だけでまちづくりや防災の話をする集まりに土木技術者が参画するとか、自然公園のネイチャーセンターにいる「インタープリター」みたいな「土木インタープリター」を養成する・・など。
一方、Facebookを見ていると、土木の好きな市民が沢山います。ダム・橋・トンネル・マンホールなど、同好の集いができていて、自分で撮ってきた写真を披露し合っています。またインフラツーリズム。関東エリアだけでも、首都圏外郭放水路・環七地下調整池・東京湾アクアライン裏側探検等々が人気。悪名高き八ッ場ダムでさえ(笑)。
このシリーズでは、土木が好きな人たちや、土木と意識せずに興味を持って関わっている人たちと、つながりたいと思います。

3.「身近な土木遺産」を紹介
学術的な土木遺産の価値については、土木学会等に譲って、市民の身近にある土木施設、隠れた土木をピックアップ出来たら、面白いと考えています。「子供の時遊んでいた所が・・、毎日通学や通勤で見ていたあれが・・、そうなの!?」みたいな。
さらに、土木は、大昔から、地域の生活に密着しているので、施設だけではないと思います。東日本大震災の後、あちこちで「ここまで津波が来た」という「碑」が再認識されましたし、地域の不文律になっている防災関連のルールや言い伝えなども、取り上げられたら良いと思います。土木のソフト面・マネジメント面も、「身近な土木遺産」では?と思います。
地域で、この趣旨に近い活動をしている団体(市民・学校・自治体等なんでも)や郷土史を研究している団体などとつながって、紹介記事を書いて貰えたら・・とも考えています。

4.例えば、こんな土木遺産が
1)野火止用水@A
私の住まいの近くに「平林寺」があり、その南北両側に「野火止用水」が流れています。多くの場所で写真のような緑道になっていて、気持ちの良い散策路になっています。水と木々は、安らぎの必須アイテムですね。

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「野火止用水」は、1655(承応4)年、川越藩主松平伊豆守信綱により、武蔵野開発の一環として開削された用水路で、玉川上水から、野火止台地を経て、荒川支流の新河岸川までの全長24kmに及びます。玉川上水と野火止用水の分水割合は「七分は江戸へ通じ、三分は信綱へ賜はり、領内へそゝげり(新編武蔵風土記)」と言われ、開拓民や移転してきた平林寺、陣屋等の貴重な飲料水・生活水として使われていました。
2)川越街道B
休日に車で出かけると、大抵「川越街道(国道254)」を通ります。家から川越に向かうと、新座市中野一丁目から入間郡三芳町藤久保まで、大きなけやき並木を挟む昔の街道を思わせる素敵な区間があります。並木の両端には立派な石碑(写真)があります。
「川越街道」は、太田道灌が川越城と江戸城を築いたころ、二つの城を結ぶ重要な役割を果たした道で、江戸時代には中山道板橋宿平尾の追分で分かれる脇往還として栄えたと言われます。日本橋から川越城下まで、栗(九里)より(四里)うまい十三里と唱われ、「川越いも」の宣伝にも一役かったそうです。

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■参考文献
@野火止用水〜多摩川の水を野火止台地、さらに荒川右岸まで〜(パンフレット)、国土交通省荒川上流河川事務所
A野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画、平成24年3月、埼玉県新座市
Bhttps://www.jinriki.info/kaidolist/ about jinriki/、旧街道ウォーキング「人力」
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第22 回 翻訳された方丈記の「土木」

方丈記(鴨長明)』(1212年成立)に「いまうつり住人は土木の煩あることを嘆く」がある。現代語訳は「新たに移住してきた人は、建築のやっかいさを嘆いている。」〔簗瀬一雄訳注:方丈記、角川学芸出版、2010年〕である。
日本の古典文学の傑作として、夏目漱石をはじめとして、多くの日本文学研究者が『方丈記』を翻訳している。初期の『A Description of My Hut(夏目漱石)』(1893年)、英国の日本語書記官による『A History of JAPANESE LITERATURE(W. G. Aston他)』(1899年)は残念ながら全訳ではなく、福原遷都の「土木の煩」の部分は欠けている。
南方熊楠はF. V. Dickinsと連名で「Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland(王立アジア協会誌)」に発表した『A Japanese Thoreau of the Twelfth Century(12世紀の日本のソロー)』
(1905年)という論文で“the newcomers had to live amid the unpleasant bustle of construction.”と英訳して、「土木の煩」を「建設の煩わしさ」としている。
Donald Keene(2012年に帰化してキーン ドナルドに)は「Anthology of Japanese literature(日本文学選集)」の『An Account of My Hut』(1955年)で、“those who now moved there complained over the difficulties of putting up houses.”と英訳して、「家を建てることの難しさ」としている。
このほか、『方丈記』には、英語(多数)、ドイツ語、ラテン語、アラビア語への翻訳があり、“the difficulties of building”などの表現が多い。
(土木学会土木広報センター次長 小松 淳)
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