東久留米市に隣町から転居して20年近くになる。暫く経ってから仕事の一線を退き、時間の余裕が生じた。間もなく、土木学会では、CNCPも含んだ今に繋がる活動が起動し、多く係わったが、同じ頃、ある機縁で地域デビュー(のようなもの)を果たした。
分野は技術者としての現役時代は殆ど縁の無い「水環境」、というよりもそれを支える「水循環」に係るものであった。水循環という概念・言葉が社会的に認知・認識されたのは平成10年代の冒頭との話であるが、ほぼ10年遅れで自身も水循環という言葉を標題に用いて地域の水文状況に係るデータの収集・整理結果を纏めている。
その背景には東久留米市が湧水と清流に恵まれた街であることがある。当市には、ほぼ市内を湧出源とする黒目川と落合川が流れている。湧出直後であることから流れの透明度は高く、水質も良い(特に落合川は東京都の水質基準で南北多摩地区では唯一の最上級AAとされている)。副都心・池袋駅から僅か18km、そこで水に親しむ子供たちの姿は咋年8月の「アド街ック天国」(テレビ東京系)でも紹介された。(写真は市役所から遠くない落合川の毘沙門橋のすぐ下流での水遊び。) 市では平成23年に全国的にも珍しい「湧水・清流保全都市宣言」を発している。
一方、国は平成26年に到って水を国民共有の財産とする「水循環基本法」を定め、翌27年には水循環に関する施策の基本的な方針や具体項目を挙げた「水循環基本計画」を策定した。
このような動きを背景に、地域の良好な水環境が今後末永く保全され向上することを願って、平成28年に、座長に芝浦工大・守田優教授を迎えて「東久留米の水循環を勉強する会」を立ちあげた(自身は事務局長)。その後2年有余の活動成果を纏めた報告書を「東久留米・黒目川流域の水の今とこれから」として昨年夏・水の日に刊行した(上の写真はその表紙から)。内容を表に示す。前半の4章までは東久留米市を主とする流域の水に関係した状況であり、後半はその維持向上に係る取組みに関するものである。


特筆すべきは、両川合流後の都県境での日10万トン近い流量、これは武蔵野礫層からの湧出であるが、この流量は水系としての黒目川流域の降雨〜地下浸透ではとても賄いきれず、その多くの部分を後背地である小平市など武蔵野台地のそれに依存していることの知見である。
問題はこれからである。これまで「お勉強」をしてきた。今後それを踏まえて実際に役立つどのような活動をすればいいか、現在調整中である。
大きなテーマは、後背地も含めた雨水の地下浸透の確保、具体には農地・緑地の保全であろう(特に「農地の保全」が、近年の都市農業振興施策があると言え危惧される)。農地という専ら農業者が保有する土地の保全に市民サイドで何ができるのか?また属している自治体を超えた広域的な取組みをどう推進していくのか?まるで風車に立ち向かうドンキホーテのようなものかもしれないが、仲間と共に、電池の切れかかった体と頭を使って努める他はない。(農地については農業者の方々が地域の水に係る貢献について必ずしも意識されていないのが歯がゆい。)
なお、健全な水循環に向けての実際は全体として行政の事項となる。そのため、上記の報告書を関係機関に進呈し、それを踏まえて説明会を開いた。結論から言うと、徒労感に満ちて帰ってくることが少なくなかった。国は兎も角、都県や市レベルでは水循環に係る横断的な取組みは全く無いようで、所掌事務に関することしか承知しない感があった。
水循環勉強会は有期の任意団体であり、その先に別途想定している、良好な水環境〜健全な水循環を目指す新たな活動を担う団体もNPOの認証を受けるかどうか?ある限られた地域で活動するとき、ベースで必要なのはその団体、それを構成している個人の信頼であり、多少公的な絡みが出てきても、形としてはその団体の規約や会員名簿が有れば事足りることになるからであるが、これらの活動は「シビルNPO」から見てどう位置付けされるのか?また、基本的に河川の平時流量の確保を目指すこのような活動はインフラメンテナンス国民会議・市民参画フォーラムからみてどうなのか?共に一定の位置付けが期待されうるのであろうが、余りこれらに関して意識していないのが実情である。
つくづく人生は偶然と縁だと感ずる。東久留米に転居しなければ決してこのような活動はしていなかった。もしあの正月に地元の氷川神社に参拝しなければ、また、その後で神社の傍を流れる落合川の水辺を散歩しなければ、同級の尾田栄章氏が我が街の集会に講師として来ることも知らず、その集会にも参加しなかっただろう。それで多少の縁ができて、その年に発足した市民環境会議にも参加しなかっただろう。参加しなれば、水循環に係るデータ整理もするわけがないのである。これからも偶然と縁を大事にしていきたい。