2020年03月01日

土木と市民社会をつなぐ活動

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シビルNPO連携プラットフォーム常務理事 土木学会連携部門長
土木学会 教育企画・人材育成委員会 シビルNPO推進小委員会 委員長
メトロ設計梶@技術顧問
田中 努


「土木学会連携部門」では、土木学会のシビルNPO推進小委員会と一体になって、「土木と市民社会をつなぐ」の具体化をめざし、■土木と市民社会をつなぐフォーラムの設立準備と、■Facebookで同様の活動をしている人たちとつながる試みに取り組んでいます。

■土木と市民社会をつなぐフォーラム
「土木と市民社会をつなぐフォーラム」については、CNCP通信のVol.55、59、63、67に書きましたが、その後の進展をご紹介します。
私たちは「フォーラムがめざす姿」を次の枠内のようにまとめました。「土木と市民社会をつなぐ」という活動は、わが国の土木界の全ての組織・人(国・自治体・大学・企業・NPO・市民組織・個人等々)と全ての国民をつなぐことを考えているので、このような広い言い方になります。

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◎市民が土木の全体を(事業も人も、良いところも悪いところも)概ね正しく理解し、様々なことに、市民が自分の意見を言えて、それらがある程度、インフラ整備(維持・更新)や防災・環境整備等の事業に反映されていく状態。
◎さらに、土木のファンがいて、楽しんだり、自ら土木に関係する仕事に就く人が居る状態。
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私たちは、次に、この姿の具体事例と、この姿を実現させるために何をすべきかを考え、検討を重ねています。
【めざす姿の具体例】
フォーラムの仲間になってくれる人に説明し共感してもらうために、めざす姿の具体を例示します。例えば、@土木のイメージ(誤解や「知らない」がない)、Aインフラの認識、整備・維持への関わり、B防災への関心・理解、C土木技術者個人とのコミュニケーション、Dインフラツーリズムやダムマニアなどと土木界の人の関わり、E教育を通じた子供たちの土木に対する認識、F土木を学ぶ学生・土木関連の仕事に就く若者・・など。
【実現させるためにすべきこと】
@[つなぐ活動のDB&HP]:つなぐ活動のDBとHPのプロトタイプを作成し、使いながら、ブラッシュアップとコンテンツ(事例と参加メンバー)の増加を図る。
A「優れた活動の抽出と広報」:「つなぐ活動」の優れた部分として、何を仲間に紹介するかを検討しつつ、まずは、準備会に参加している土木学会の「土木広報大賞」とCNCPの「建設大賞(CNCPアワード)」の着目点の位置づけや両者の連携・協働の在り方などを検討する。
B「Q&A」:市民の生の疑問・質問を集める。まずは、個人の頑張りに依存せずに、システマチックに継続的に集める方法の検討。集まった質問とそれに対する回答は、CNCP通信のQ&Aに掲載し、併せてフォーラムのHPに掲載する。
C「TV会議の試行」:全国にフォーラムの仲間ができても、いつも四谷に来てもらうのは困難なため、土木学会の機器を利用して、普通に使えるTV会議・Web会議のスキルと環境を整える。
D「土木インタープリターの養成」:国立公園のネーチャーセンターにいる「インタープリター」の土木版を作る。まず「土木インタープリター」の要件(必要な知識・スキル・マインド等)を明らかにし、力量評価と養成講座を企画する。CNCPの協働推進部門で実施している「ファシリテーター養成講座」と連携させたい。

■Facebookで仲間たちとつながる試み
土木の分野に限りませんが、SNSを通じて自分たちの活動をリアルタイムに発信している組織/グループ/個人が世の中にたくさんいます。私たちは、昨年立ち上げた「シビルNPO推進小委員会Facebookページ」等を使い、「これは土木と市民社会をつないでいる!」と思われる活動を、フォロワー(「土木と市民社会をつなぐこと」に関心をもっている皆さん)へ紹介しています。また、コメント欄を通じた意見交換や、SNSで知ったイベントへの参加等を通じて、「土木と市民社会をつなぐ」という同じ志をもつ仲間とのつながりを少しずつ広げていこうとしています。読者の皆さんもぜひ、シビルNPO推進小委員会Facebookページをフォローし、このつながりに加わってください! 
シビルNPO推進小委員会Facebookページ
https://www.facebook.com/jsce.civil.npo/

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エーヤワディ川堤防天端の道路のアクセス改善

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シビルNPO連携プラットフォーム法人正会員
NPO法人道普請人理事 福林 良典


筆者が直近に担当した,ミャンマーのエーヤワディ川(旧称イラワジ川)デルタ地帯での道直しを紹介する.
この事業は,キリスト教系で人道支援の観点から災害時の緊急対応などの活動をしている,国際NGOとの連携事業である.「自分たちの道は自分たちで直す」という意識を広め世界の貧困削減に貢献しよう,と小規模インフラ整備を行ってきた私たちの活動に関心を持っていただき,協力を要請されて実現した.
土地を持たない住民は,雨季には浸水するとわかっていても川表側に住居を構えざるを得ない(写真1).一方で,携帯電話のアンテナが近くに設置されており(写真2),スマホが使える環境が整っている.筆者も現場に居ながらにして,メールをチェックしたり地図アプリを使うことができた.
堤防は粘性土の盛土構造で,現地の行政により管理上,舗装も含めて構造物の設置は認められていない.洪水による河岸浸食も問題となっていて,現在の堤内地に別のルートで堤防が設置されることも検討されている.現在,河川そばの村に住む人々は,堤防の天端を道路として利用している.乾季には乾燥し路面は固くトラックなどの車両も通行可能になるが(ただし,ほこりがひどい),雨季には泥濘化し大人でも足を取られたり滑ったりするほどで,歩行すらままならない(写真3).

周辺の村での対策も参考にし,設置・撤去が人力で可能なコンクリートパネルの作成を支援することとした.材料代の負担と,村の人々が組織的に施工できるように技術支援をした(写真4).
雨季にはパネルが設置され,歩行が容易になった(写真5).子供を一人で学校に行かせることができ家業に時間を割くことができた,助産士が来てくれるようになった,市場まで行ける回数が増えたなど,村の人々の生計向上に効果があったようである.

乾季には,パネルを端に寄せ車両の通行幅を確保している(写真6).一枚40 kg程度のパネルを約2,000枚作成し1.3 kmの範囲に設置したが,村人が家庭ごとに担当範囲を決めて,撤去作業を行った.雨季が来れば,同じ体制で設置される予定である.

筆者にとって,堤防天端での道路整備は初めての経験であった.連携先NPOの事業地であり,この事業を通して新たな実績を得ることができた.異分野で活動するNPOとの連携も,いい経験になった.社会基盤整備を担う建設系NPOにとって,社会科学系など他分野のNPOとの協働の機会は多いのではないかと思う.
持続可能な開発(SDGs)が認知され,産官学が各々その目標の達成に向けた活動をしている.上記で紹介したようなインフラ整備は,「新しい公共」のNPOだからこそ,実施することができた事業のように思える.よそ者の国際開発NPOではあるが,相手国の持続的な発展に向けて事業の担い手を現地化するなどして,積極的に役割を果たすことができると手応えを感じている.

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第2回 花畑運河は荒川放水路の土木遺産

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シビルNPO連携プラットフォーム 理事
(日本河川協会 理事)三井 元子


はじめに
花畑川は、東京足立区の北東部にある中川と綾瀬川をつなぐ運河である。荒川放水路が開通すると舟運の渋滞が起こる事が予想されたため、昭和6年に開削された。開削当時の景観を残しているこの運河が、今、壊わされようとしている。花畑川を荒川放水路の土木遺産として推薦したい。

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1.なぜ運河開削が決まったか?
明治43年に東京・埼玉大水害があり、荒川の破堤箇所数十か所、死者369名、被災者150万人、流失・全壊家屋1679戸、浸水家屋27万戸、被害総額は国民総所得の約4.2%であった。そこで政府は、荒川放水路開削を決意。明治44年から19年の歳月をかけ、昭和5年に幅500mの荒川放水路が完成する。
ところが東京都心部への貨物の重要な舟運路であった中川は、放水路と並行して、大きく迂回して、木下川水門または小名木川水門を通過しなければならなくなり、閘門(ロックゲイト)で船が渋滞することが懸念された。そこで、大正10年に花畑運河開削が決定される。中川と綾瀬川をつなぐ運河を開削すれば、綾瀬川からは、放水路を横切って墨田川水門に入れることから、「約4里(16km)の短縮になるばかりか、屈曲が少ないので、時間と労力が省ける。船だけのためではなく、市場における物資供給の円滑化となり、地方への輸出入の運輸が敏活になると共に、陸上物資の停滞を緩和する他、経済上に及ぼす利益は少なくないと認め」花畑運河開削を計画した。

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そして、昭和6年、幅33.6m延長1,485mの運河が完成した。葛西用水は伏越で運河を横断させ、中川口には逆流を防ぐため水門をもうける形にした。工費は、36万7650円。(現在の約3億5千万円).東京府の大正10年の調査によると、東京市における貨物の集散量全体の3割は水運により集積され、市内河川・運河で取り扱われたものは年1,800万tに達していたという。
中川舟運は、ほとんどすべてが東京への輸出入で、花畑川では、1年間に下り貨物42,000t、米穀、醤油、粗砕、縄莚類。上り貨物 8,000t、雑貨、木材、石炭、豆粕、他に人糞尿40万荷。これを運搬する船は日に212艘もあった。

<参考文献>
(※「日本土木史 大正元年〜昭和」:日本土木学会)
(※「荒川下流史」:(財)リバーフロント整備センター)
(※「新修足立区史」下巻:足立区)
(※「東京府史 行政編」 第4巻:東京都)
(※『都史資料集成」第7巻◎震災復興期の東京A』)

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2.国の「都市計画法」制定後、関東で初めて完成した開削運河
日本土木史に拠れば 「大正8年(1919)の都市計画法制定後、全国的にも都市計画事業として新たに開削された運河は少なく、大阪の城北運河、名古屋の中川運河、富山の富岩運河など、きわめて少ない例であるといえる。」とある。

令和1年になって足立区は、川幅を半分の17mにして、両岸に8mの河津桜並木を作る計画を進めようとしている。
戦後、陸運が活発になり、たい肥も化学肥料の台頭によって使われなくなり、舟運は昭和31年頃に姿を消した。が、現代は、水面の価値に対する理解が深まり、かつて蓋掛けした川を開いたり、観光のための舟運を見直したりしている時代である。

今も開削当初の運河の景観が残っている花畑川は、歴史的にも経済史的にも、極めて貴重な河川である。時代に逆行する改修はやめるべきだ。水質が良くなり、魚影もみえるようになった花畑川を一度、ぜひ散策してみてほしい。

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