2020年09月01日

トンネル

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シビルNPO連携プラットフォーム 正会員
小松崎 暁子


土木専門家の皆さんに、素人の私がトンネルの話をします。
ご安心下さい。トンネルと言っても山を削って道をつなぐトンネルではありません。人生のトンネルの話です。

15年前の話ですから時効ということで解禁です。現在30歳になる愚息の話。当時、私は起業して仕事に夢中になりすぎ、帰宅が深夜になることもしばしばでした。夫も企業戦士(懐かしい単語!)で、ほぼ毎日午前様、という両親不在の家庭でした。

中学生だった息子は、ちょいとヤンチャで、両親不在をいいことに夜遅くまで遊び歩いていたわけです。
だんだん、朝起きられなくなる、学校に遅刻する、登校しない、夜になると遊びに出かける、という生活になり、友人とお酒を呑む、タバコを吸う、警察から電話が来る・・・。

この息子をどうすれば立ち直らせることができるのか。まさに私は暗闇に放り込まれた心境でした。
借りていた事務所を引き払って在宅勤務に切り替え、朝昼夜と三食手抜きをせずにせっせと料理を作り、夕方から遊びに出かける息子の帰りを待つ毎日。(なぜか帰宅が早くなったのは夫でした。笑)

こんな日々がいつまで続くのか、息子は進学できるのか、就職できるのか、独り立ちできるのか。永遠に抜け出せないかに思えた暗闇生活に終止符を打ったのは、暗い顔をして下を向いていた私に前を向かせるべく、ある退職された校長先生がおっしゃった一言でした。「お母さん、酒を呑んだって、タバコを吸ったって、そんなもん5年もすれば大した問題じゃなくなりますよ。」

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そうなんです。目の前が真っ暗闇で出口が見えなくなり「私と息子の人生終わった。」と思っていたら、遙か上空から眺めてみると、そこは人生という長い道のりの中のほんの一部分でしかなかったのです。その時から人生観が変わりました。どんなに長いトンネルにも出口があって、知恵と覚悟と諦めない心があれば、必ず青空の下に出る時が来る!しんどいのは今だけ・・・。

話は変わって2020年。世界中の人々がコロナ感染の恐怖と戦っています。
いつ終わりが来るのか、来ないのか。
人と接触しない生活、毎日マスクをつける生活、消毒・殺菌、不要不急の外出制限、経済の破綻。
しかし、人類は知恵と覚悟と諦めない心でこのトンネルを休むことなく前進し、必ず新しい世界へと導いて行くんだ!と私は信じています。しんどいのは今だけ!
愚息はその後いくつかのトンネル脱出後に大学進学、就職し、起業して、親元から独立していきました。

そういえば、そんなこともあったなぁ、と当時を思い出すこの頃です。
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第8回 赤褐色の球形モニュメント -土地と産業の記憶装置-

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葛飾区産業観光部観光課主査 学芸員 
谷口 榮


JR常磐線の金町駅の北側に、東京理科大学葛飾キャンパスが平成25年(2013)4月に開校した。開放された空間に現代的な意匠を配した校舎がそびえ、若者が行き交う姿は、今までの葛飾区内には見られなかった、新しいまち景観である。
キャンパスの周囲には、「葛飾にいじゅくみらい公園」(葛飾区新宿6−3)が整備されている。この公園は、計画段階から区民参加と協働によって整備されたもので、面積が約7・1ヘクタールと区立公園としては最大の広さを誇っている。環境とユニバーサルデザインにも配慮し、多目的広場や大規模な災害時には避難拠点として機能するよう防災設備も整えられており、平成25年度第29回都市公園コンクールで国土交通省都市局長賞を受賞している。
この現代的に空間演出された大学と公園の風景の中にひときわ異彩を放つ赤褐色の大きな球形のモニュメントがある。この鉄の球体は、通称「地球釜」と呼ばれ、かつてこの地に在った三菱製紙株式会社中川工場(以下、「三菱製紙中川工場」と略す。)で損紙(そんし)を蒸して再生するための蒸釜である(図1)。

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三菱製紙中川工場は、本区における近代工業の先駆的な工場として、この新宿の地に築かれた。その経緯を簡単に記すと、合資会社三菱製紙所は、日露戦争後に国内の紙の需要が増加したことで、紙の大消費地である首都東京が紙の供給先として今後重要な位置を占めるものと注目し、本所方面への連絡が容易で、鉄道もあり、横浜方面と直接船で航行できる適地に工場の建設を計画する。
東京市部に近く、本所と同じ東部に位置し、の常磐線が通り、中川と江戸川に挟まれた葛飾区新宿付近が工場の建設地と選定され、工場名を「三菱製紙所中川工場」と決めて、大正4年から工事に着手して大正6年から操業を開始した(図2)。
創業当初に製造された製品には、煙草口紙用紙をはじめ、教科書用紙、模造紙などがあり、その後、大蔵省印刷局から受注した葉書用紙も重要な製品となった。

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第2次世界大戦の戦時中には、写真印画紙原紙(バライタ紙)の製造をはじめ、軍関係の地図用紙等の抄紙や、新紙幣の抄造と旧紙幣の処理なども行っている。
戦後、中川工場は、昭和21年(1946)4月に大蔵省から紙幣用紙抄造管理工場に指定され、戦争で被災した大蔵省印刷局大路工場が復興する昭和24年まで紙幣用紙の抄造を行った。
損紙等をパルプにする作業に使われたのが、昭和20年(1940)から昭和21年にかけて設置された球形の蒸釜「地球釜」である。この蒸釜は、厚さ16mmの鉄板32枚を鋲で球形に仕上げたもので、大きさは最大内径4.27m。釜の中に損紙等(5t)と水(9,000ℓ)を入れて、毎分1回転の速度で回転させながら蒸気を注入し、紙の繊維を解きほぐして再生原料として使用した。
まさにこの「地球釜」は戦中から戦後復興という戦争から平和への過渡期を経験しているのである。「地球釜」は、球形というフォルムだけでなく、操業時の回転する様子から呼び方が生じたものであるが、私には世界を巻き込んだ大戦と、大戦の反省から国際平和と安全の維持、経済・社会・文化面の国際協力の達成などを目的する国際連合が誕生した地球の姿にも見える。
実は、三菱製紙中川工場は、この地域の災害の歴史を記憶する「場」でもあった。最近まで残っていた2棟の煉瓦倉庫の壁面には、大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災によって生じたクラックが残っていた(図3・4)。関東大震災による都心部での被害状況は知られているが、郊外での被害状況を知ることのできる資料として貴重だった。
その後、昭和17年(1942)4月18日の東京にはじめてアメリカ軍機による空襲が行われた際に、工場は爆撃による被害はなかったが、この時の惨事を目の当たりにする。葛飾区上空に飛来したB25は、軍事施設と見誤ったのか水元国民学校に機銃掃射を加え、当時14歳の石出巳之介君が被弾してしまう。急ぎ三菱製紙中川工場の医務室に運び込まれ、処置が施されたが助命することはできなかった。今年は、戦後75年という節目になるが、平和へ願いを込めこの地が東京初空襲で犠牲となった石出君の絶命した場所であることをこの小文にも記しておきたい。
終戦間もない昭和22年(1947)9月19日未明、カスリーン台風によって葛飾区水元の桜堤が決壊、工場は水浸しになり、甚大な被害を受けた。戦後の深刻な石炭不足や資材統制もあって、災禍後の本格的な復旧は昭和25年(1950)まで掛った。その後、設備補強を遂げ、バライタ紙やアート紙を量産し、新たにOA関連の感熱紙インクジェット紙などの製造も手掛けるなどして操業を続けた。

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しかし、社会情勢の変化などもあって工場の移転が決まり、平成15年(2003)3月に三菱製紙中川工場は86年余りの歴史に幕を下ろした。その後、UR都市機構が土地を取得し、隣接する三菱ガス化学株式会社の工場も含めた土地区画整理事業や道路等のインフラストラクチャーの整備に着手。まちの骨格を整え、葛飾区、民間事業者とともに新しいまちづくりが進められ、「葛飾にいじゅくみらい公園」が誕生した。
かつて中川沿いには、三菱製紙中川工場をはじめとしていくつかの製紙工場が操業していた。現在、それらの製紙産業は姿を消してしまったが、葛飾区の近代産業の幕開けの地であることと、かつての製紙産業を後世に伝える記憶装置としても「地球釜」は存在している。
本来なら葛飾区近代工業の発祥の地を記憶顕彰する土木遺産として、「地球釜」とともに煉瓦倉庫などの構造物を保存活用すべきだったのではないかと私は思っている。特に、工場建物の部材として用いられた煉瓦は、地元の金町製瓦会社で焼かれたものであり、葛飾の窯業との関わりを物語る貴重な土木遺産であった。
今後、煉瓦倉庫の壁面の一部はモニュメントとして公園内に設置されると聞いているが、かつての土地の記憶が消え失せぬように(図5)、この土地の有する土木遺産的価値を活かした再整備を期待している。きっと区民にとって過去・現在・未来に思いを馳せられる魅力ある「場」となろう。

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市民参画によるインフラメンテナンスの前進に向けて

市民参画フォーラム・事例WG  駒田 智久


インフラメンテナンス国民会議・市民参画フォーラムの3つのWGのうちの市民協働調査・分析WG (略称;事例WG) において実施した市民参画事例の収集と分析について記す。
〇事例収集の考え方と方法
・収集対象;「インフラ施設」の「維持管理」に係る活動を対象とした。「維持管理」としては、直接的には、点検・補修等の他、管理運営や維持更新計画等も含め、間接的には、維持管理に係わる教育・研修、市民啓発、技術支援、社会的発信等も含めるものとした。インフラメンテナンスは、最終的には「(施設の)点検・補修」という実践行為に至るが、市民参画の観点からは、対象範囲を拡げて考えることが重要であるとしている。なお、「市民参画」の「市民」には、団体・個人を問わず、多様なものが含まれると考えている。
・収集内容;必須事項として〔実施場所/市民活動の主体/活動の概略内容〕、また追加事項として〔協働行政部署/実施時期・期間/協働の経緯/協働の種類(領域と役割)/協働事業の段階/費用負担の具体/コーディネーター〕とした。
・収集方法;自主的な収集と、土木学会アンケート調査結果の利用の2つの方法に依った。前者は、主として市民参画フォーラム、特に事例WGのメンバーに情報提供を求めた。主としてマークした情報は、国民会議インフラメンテ大賞等の受賞、土木学会表彰(市民普請関係)などであり、一般メディアも含めた。一方で、土木学会シビルNPO推進小委員会は、各地域の市民協働の活動の中で、シビルNPOが有効に活かされることを願って、地方自治体、シビルNPO及び大学・高専を対象に、市民協働に関するアンケート調査を平成29年度に実施しており、その成果を利用させて頂くこととした。その内、地方自治体回答の438件(自治体数としては258件)を対象とした。
〇収集結果
対象施設と活動分野ごとに収集結果を表−1に示す。学会アンケートのうち、何らかの形でインフラメンテナンスに係る件数は全173件であったが、環境美化・清掃のみの活動も少なくなく、それらは一応除くこととし、その結果が78件である。そのうち整理対象としたのが17件、自主収集36件と併せて全53件となった。
・水・河川系;市民が係りやすい河川分野以外に、湖沼、水路やダム分野でも事例が挙がった。河川分野では実際の維持補修も実践している事例があるのは注目されよう。

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・道路系;道路分野では点検・情報が半数以上となっているが、一般維持管理や除雪、更には道路整備が挙がっている。橋梁分野でも、高欄の塗装とは言え、実際の補修作業が含まれている。
・地域・まちづくり系;公園や公共施設もここに含めた。公園では市民が参加しやすい維持管理分野が多くを占める。公共施設関係は1例である。まち・地域関係ではまちづくり分野が多く、他の計画対応や指針づくり、防災関係も数は少ないが挙がっている。 
〇横断的考察
・活動主体;参画する「市民」の分類と事例を表−2に示す。活動団体にも種々あることが分る。団体の種別で活動の分野は大きく変わることはないとみられる。特に道路を対象にした教育機関の関与が注目されよう。市民・事業者については特定の認定等を受ける場合や、何の資格も無くて登録するだけで参加できるものもある。地域住民の事例として単なる通報ではなく、福島県天栄村や南会津町のように一定の力が必要なもの(道路等の補修作業)もあり、注目される。

・学の関与について
事例には大学・高専および工業高校が専門的知識をもって参加・関与しているものもある。表−2のうち、福島県南会津町の橋梁に係る事例については「ふくしまインフラ長寿命化研究会」が関与している。同会の会長の日本大学工学部土木工学科の岩城一郎教授の主導のもと、橋に限定されず、道路も含んで、住民と学生の協働により多彩な活動を展開している。長崎大学の道守養成ユニットや、岐阜大学における「社会基盤メンテナンスエキスパート(ME)養成講座」も同様な事例と考えられる。継続性に心配がある市民団体に比し、大学等の場合はその懸念が小さく、活動の継続性を考える上では、学の関与は大きな意味を持つといえよう。

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・背景としての行政側の制度・事業
団体、個別の市民・事業者を問わず、活動を継続するうえで、重要であるのは管理者の支援である。表−3はその支援の内容ごとに制度的な事例を示す。一般市民の参画を得るためには、前提となるサービス提供が当然であり、DやEの支援は必須と言えるが、団体として期待するのはA〜Cの即物的な支援であろう。図−1はAの国交省のプログラムのスキームである。
ここで注目されるのはBであるが、土木学会でいう「市民普請」を促進するものと言える。このような取組みは農水省関係に多いと見られる(写真)。
なお、京都市では、「公共土木施設の維持管理に係る市民協働指針 みんなで守る“道・川・みどり”京のまち」を平成29年に策定している。

〇今後に向けて
事例WGが目指す姿は「インフラメンテナンスの事例や社会実験から新しい効率的な仕組みがつくられ、全国の自治体で採用され効果を上げている」である。事例収集はその第一歩的なものであるといえるが、先ずは、このように様々な市民参画の展開事例が有ることの社会的な発信が考えられる。
また、今回の分析は、多く、先に示した「必須事項」に基づくものである。「追加事項」については、収集方法の限界から一部の事例でしか把握できなかった。今後、幾つかの事例に絞り込んで、その活動組織および関係自治体にコンタクトして、核心的な情報の獲得を図り、現地での調査も行った上、さらにそれらの自治体や団体との協働についても、その可能性を検討する考えである。
なお、土木学会では「市民団体との協働活動促進のための方策検討」会議がスタートしている。また、このような動きを学問の対象とした研究もある。それらの動きとの関連も見据えた今後の活動とする必要が有ろう。

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第8回 赤褐色の球形モニュメント -土地と産業の記憶装置-

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葛飾区産業観光部観光課主査 学芸員 
谷口 榮


JR常磐線の金町駅の北側に、東京理科大学葛飾キャンパスが平成25年(2013)4月に開校した。開放された空間に現代的な意匠を配した校舎がそびえ、若者が行き交う姿は、今までの葛飾区内には見られなかった、新しいまち景観である。
キャンパスの周囲には、「葛飾にいじゅくみらい公園」(葛飾区新宿6−3)が整備されている。この公園は、計画段階から区民参加と協働によって整備されたもので、面積が約7・1ヘクタールと区立公園としては最大の広さを誇っている。環境とユニバーサルデザインにも配慮し、多目的広場や大規模な災害時には避難拠点として機能するよう防災設備も整えられており、平成25年度第29回都市公園コンクールで国土交通省都市局長賞を受賞している。
この現代的に空間演出された大学と公園の風景の中にひときわ異彩を放つ赤褐色の大きな球形のモニュメントがある。この鉄の球体は、通称「地球釜」と呼ばれ、かつてこの地に在った三菱製紙株式会社中川工場(以下、「三菱製紙中川工場」と略す。)で損紙(そんし)を蒸して再生するための蒸釜である(図1)。

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三菱製紙中川工場は、本区における近代工業の先駆的な工場として、この新宿の地に築かれた。その経緯を簡単に記すと、合資会社三菱製紙所は、日露戦争後に国内の紙の需要が増加したことで、紙の大消費地である首都東京が紙の供給先として今後重要な位置を占めるものと注目し、本所方面への連絡が容易で、鉄道もあり、横浜方面と直接船で航行できる適地に工場の建設を計画する。
東京市部に近く、本所と同じ東部に位置し、の常磐線が通り、中川と江戸川に挟まれた葛飾区新宿付近が工場の建設地と選定され、工場名を「三菱製紙所中川工場」と決めて、大正4年から工事に着手して大正6年から操業を開始した(図2)。
創業当初に製造された製品には、煙草口紙用紙をはじめ、教科書用紙、模造紙などがあり、その後、大蔵省印刷局から受注した葉書用紙も重要な製品となった。

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第2次世界大戦の戦時中には、写真印画紙原紙(バライタ紙)の製造をはじめ、軍関係の地図用紙等の抄紙や、新紙幣の抄造と旧紙幣の処理なども行っている。
戦後、中川工場は、昭和21年(1946)4月に大蔵省から紙幣用紙抄造管理工場に指定され、戦争で被災した大蔵省印刷局大路工場が復興する昭和24年まで紙幣用紙の抄造を行った。
損紙等をパルプにする作業に使われたのが、昭和20年(1940)から昭和21年にかけて設置された球形の蒸釜「地球釜」である。この蒸釜は、厚さ16mmの鉄板32枚を鋲で球形に仕上げたもので、大きさは最大内径4.27m。釜の中に損紙等(5t)と水(9,000ℓ)を入れて、毎分1回転の速度で回転させながら蒸気を注入し、紙の繊維を解きほぐして再生原料として使用した。
まさにこの「地球釜」は戦中から戦後復興という戦争から平和への過渡期を経験しているのである。「地球釜」は、球形というフォルムだけでなく、操業時の回転する様子から呼び方が生じたものであるが、私には世界を巻き込んだ大戦と、大戦の反省から国際平和と安全の維持、経済・社会・文化面の国際協力の達成などを目的する国際連合が誕生した地球の姿にも見える。
実は、三菱製紙中川工場は、この地域の災害の歴史を記憶する「場」でもあった。最近まで残っていた2棟の煉瓦倉庫の壁面には、大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災によって生じたクラックが残っていた(図3・4)。関東大震災による都心部での被害状況は知られているが、郊外での被害状況を知ることのできる資料として貴重だった。
その後、昭和17年(1942)4月18日の東京にはじめてアメリカ軍機による空襲が行われた際に、工場は爆撃による被害はなかったが、この時の惨事を目の当たりにする。葛飾区上空に飛来したB25は、軍事施設と見誤ったのか水元国民学校に機銃掃射を加え、当時14歳の石出巳之介君が被弾してしまう。急ぎ三菱製紙中川工場の医務室に運び込まれ、処置が施されたが助命することはできなかった。今年は、戦後75年という節目になるが、平和へ願いを込めこの地が東京初空襲で犠牲となった石出君の絶命した場所であることをこの小文にも記しておきたい。
終戦間もない昭和22年(1947)9月19日未明、カスリーン台風によって葛飾区水元の桜堤が決壊、工場は水浸しになり、甚大な被害を受けた。戦後の深刻な石炭不足や資材統制もあって、災禍後の本格的な復旧は昭和25年(1950)まで掛った。その後、設備補強を遂げ、バライタ紙やアート紙を量産し、新たにOA関連の感熱紙インクジェット紙などの製造も手掛けるなどして操業を続けた。

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しかし、社会情勢の変化などもあって工場の移転が決まり、平成15年(2003)3月に三菱製紙中川工場は86年余りの歴史に幕を下ろした。その後、UR都市機構が土地を取得し、隣接する三菱ガス化学株式会社の工場も含めた土地区画整理事業や道路等のインフラストラクチャーの整備に着手。まちの骨格を整え、葛飾区、民間事業者とともに新しいまちづくりが進められ、「葛飾にいじゅくみらい公園」が誕生した。
かつて中川沿いには、三菱製紙中川工場をはじめとしていくつかの製紙工場が操業していた。現在、それらの製紙産業は姿を消してしまったが、葛飾区の近代産業の幕開けの地であることと、かつての製紙産業を後世に伝える記憶装置としても「地球釜」は存在している。
本来なら葛飾区近代工業の発祥の地を記憶顕彰する土木遺産として、「地球釜」とともに煉瓦倉庫などの構造物を保存活用すべきだったのではないかと私は思っている。特に、工場建物の部材として用いられた煉瓦は、地元の金町製瓦会社で焼かれたものであり、葛飾の窯業との関わりを物語る貴重な土木遺産であった。
今後、煉瓦倉庫の壁面の一部はモニュメントとして公園内に設置されると聞いているが、かつての土地の記憶が消え失せぬように(図5)、この土地の有する土木遺産的価値を活かした再整備を期待している。きっと区民にとって過去・現在・未来に思いを馳せられる魅力ある「場」となろう。

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第4回 鉄道の話―国鉄の民営化―

1872年(明治5年)新橋・横浜間に鉄道が開通し、明治維新の急速な近代化に拍車がかかりました。この時代の土木技術者は鉄道、港湾、河川を中心とした近代的なインフラ整備に邁進していました。鉄道事業は利用者から運賃を取って旅客や貨物を輸送することから、港湾整備、河川改修、道路整備などの公共事業と趣を異にしています。
日本の鉄道建設は、当初から国による建設と民間による建設が混在し、時に競争しながら進められました。そして1906年、全国的なネットワークを構成するため、骨格となる路線網を国有化しました。第二次世界大戦後の1949年、復員者の受け入れなどで肥大化した組織を立て直すために、運輸省管轄から独立採算経営とすべく公共企業体の国鉄へと移行しました。しかし、鉄道のインフラ整備には膨大な資金が必要であり、独力で新幹線や都市鉄道を整備することは大変難しく、現在でも様々な国の交付金や補助金の制度が組み込まれています。国鉄は財政面から独立採算を建前とした公共企業体という形が破たんし、経営面での法的な制約も多く、労働問題の多発やサービス面での遅れが重なり、1987年、民営分割されて現在のJR体制となり、以来30年、大きな発展を遂げてきました。
日本の鉄道がお手本としてきたヨーロッパの鉄道に、国鉄が貢献したビッグプロジェクトが二つあります。その一つは新幹線です。1964年、東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線の成功は、斜陽化したヨーロッパの鉄道再生に強いインパクトを与え、鉄道ルネッサンスと呼ばれるようになりました。二つ目が国鉄の民営化です。そのほとんどが国営・公営であるヨーロッパの鉄道に、再生に向けた大きなインパクトを与え、各国で民間企業の参入など活性化施策が相次いでいます。JR発足から30年を経て、本年2020年1月にフランス国鉄も市場開放も含めた新しい体制へと移行を始めました。 (代表理事 山本 卓朗)
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地域の液状化に備える

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シビルNPO連携プラットフォーム 副代表理事
花村 義久


はじめに
2011年3月11日東日本大震災が発生、私が所属するNPO法人シビルまちづくりステーション(CMS)では発生後すぐに被災地救済の動きとして救援物資を集め、現地に乗り込みました。合わせて、被害踏査も行いました。その中で身近な所で発生した災害として液状化被害に着目し、浦安、船橋をはじめ内陸も含め被災地での踏査を行い、組織内に「液状化対策プロジェクト」を立ち上げることにしました。
東日本大震災における液状化被害、船橋市の液状化
東日本大震災は広範な地域に津波被害もたらしましたが、そのなかで液状化が被害を一層大きくしていることが分かりました。また液状化被害は、利根川流域、東京湾岸エリヤの海面埋立て地域や内陸部地域における干拓や沼の埋立地などに広がっています。

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地元船橋でも、市の全面積の85%が被害を受けた浦安市に比べると知られていませんが被害は大きく、その復旧・復興が求められていました。当NPO・CMSでは船橋市市民公益公募型支援事業の指定を受けて、液状化に関する総合的なパンフレットを作成したり、フォーラムやセミナーなど一連の催しを開催して、広く市民に地震・液状化の被害に対する情報・知見を提供し、災害に備える活動をしました。そしてこのような結果を踏まえ、実態調査やハザードマップの検証を行うとともに、再液状化も含め今後の対策を検討・提案しました。
船橋市の被害実態調査とハザードマップの検証
船橋市の被害実態調査として家屋の被災状況、道路・上下水道・ガスなどのライフラインの被災状況、それに対する行政の対応等を調べました。この結果を地図上に表わし、過去の地形、地盤、現在のハザードマップなどとの関連などを見ることにより、新たにいろいろなことが見えて来ました。

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液状化の被災はハザードマップでの液状化危険性の高い区域で数多く発生していますが、内陸部においても液状化危険性が「ない」(図−1の白色部)とされる区域でも、液状化が発生している箇所がかなり認められています。
 図-1は、液状化ハザードマップに家屋等の被害箇所を重ねたものに、さらに旧地形を重ねたものです。旧地形の低湿地部を着色(ピンク)しましたが、この図から、液状化危険性の「ない」箇所の多くが旧地形の低湿地部に相当することが判明しました。このことから、液状化危険性の評価は旧地形の低湿地部を考慮するのが良いと考えられます。

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おわりに
行液状化の問題は重要であるにもかかわらず、当時はまだ認識が浅く、行政は殆ど対応が出来ておらず、市民にいたっては被災者はどうしていいか分からない状態でした。 市民は、行政は、NPOはどうすればいいのか、現在も各主体間の情報共有、協力関係、各種問題の課題解決が求められています。


資料
・地震による液状化に備えよう ―液状化についての知識を高めよう―  平成25年3月発行
・液状化対策へのエントランス ―「地震防災フォーラム・セミナー」より― 平成26年3月発行
・実態調査から見える被害状況 ―船橋の液状化被害はこうだった―  平成27年3月発行
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心豊かに生きるための社会基盤づくりに思う

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シビルNPO連携プラットフォーム 理事
早稲田大学名誉教授 依田 照彦


東日本大震災から2年が経過した2013年、日本学術会議で科学・夢ロードマップ作成の話が持ち上がった。託されたテーマは土木工学・建築学分野の科学・夢ロードマップの作成であった。日本列島が地震の活動期に入り、エネルギー供給の構造が変化し、高齢化が進み人口が減少するなかで、持続可能で安全・安心な社会を実現するためには、土木工学・建築学分野が、過去を見直し、現在を見つめ、未来を見据えて、科学・技術を一層向上させていくことが課題であるとの認識が背景にあった。
まとめ役として、土木工学・建築学分野のキーワードを「持続可能で豊かな社会の構築」を中心に議論を進めようと考え、土木工学と建築学に関係する学会の先生方にメンバーに入っていただき、議論を開始した。私の思惑は大きく外れ、各学会の先生方からは、「豊かな社会」ではなく「心豊かな社会」の構築が重要であるとの指摘を受けた。「持続可能で豊かな社会」を中心に持ってきたかった私は、各学会の理事会にまで出席して、「心豊かな社会」でなく「豊かな社会」の採用をお願いした。結果として、土木工学・建築学分野の科学・夢ロードマップの中央には「持続可能で豊かな社会」を持ってくることができた。その一方で、委員の先生方の意見を尊重して、説明文には「人口が減少し高齢化が進むなかで、健やかで心豊かに生きるための住宅・社会基盤づくりに取り組む。」として、心の文字を入れさせていただいた。
その後も「心豊かな社会」という言葉が脳裏から離れなかった。そのような中、コンパッションという言葉が目に飛び込んできた。「共にいる力」をコンパッションといい、「立ち直る力」、「やり抜く力」に関連し、利他性・共感・誠実・敬意・関与が基本概念とのことである。脳神経科学では、認知的視野、思考力、免疫力、レジリエンスなどへの効果が検証されているという。免疫力とレジリエンスのキーワードに魅せられた。土木のイメージに合うような気がしている。
新型コロナウイルスの感染症と自然災害の複合災害のリスクに備えなければならない時代を迎えた我々には、多様な生き方を視野に入れた社会基盤づくりとともに、コンパッションでいうところの「共にいる力」、「立ち直る力」、「やり抜く力」が不可欠であるように思う。「心豊かな社会」とはどのようなものであるのか、もう少し議論しておくべきであったと反省している。

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地域の液状化に備える

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シビルNPO連携プラットフォーム 副代表理事
花村 義久


はじめに
2011年3月11日東日本大震災が発生、私が所属するNPO法人シビルまちづくりステーション(CMS)では発生後すぐに被災地救済の動きとして救援物資を集め、現地に乗り込みました。合わせて、被害踏査も行いました。その中で身近な所で発生した災害として液状化被害に着目し、浦安、船橋をはじめ内陸も含め被災地での踏査を行い、組織内に「液状化対策プロジェクト」を立ち上げることにしました。
東日本大震災における液状化被害、船橋市の液状化
東日本大震災は広範な地域に津波被害もたらしましたが、そのなかで液状化が被害を一層大きくしていることが分かりました。また液状化被害は、利根川流域、東京湾岸エリヤの海面埋立て地域や内陸部地域における干拓や沼の埋立地などに広がっています。

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地元船橋でも、市の全面積の85%が被害を受けた浦安市に比べると知られていませんが被害は大きく、その復旧・復興が求められていました。当NPO・CMSでは船橋市市民公益公募型支援事業の指定を受けて、液状化に関する総合的なパンフレットを作成したり、フォーラムやセミナーなど一連の催しを開催して、広く市民に地震・液状化の被害に対する情報・知見を提供し、災害に備える活動をしました。そしてこのような結果を踏まえ、実態調査やハザードマップの検証を行うとともに、再液状化も含め今後の対策を検討・提案しました。
船橋市の被害実態調査とハザードマップの検証
船橋市の被害実態調査として家屋の被災状況、道路・上下水道・ガスなどのライフラインの被災状況、それに対する行政の対応等を調べました。この結果を地図上に表わし、過去の地形、地盤、現在のハザードマップなどとの関連などを見ることにより、新たにいろいろなことが見えて来ました。

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液状化の被災はハザードマップでの液状化危険性の高い区域で数多く発生していますが、内陸部においても液状化危険性が「ない」(図−1の白色部)とされる区域でも、液状化が発生している箇所がかなり認められています。
 図-1は、液状化ハザードマップに家屋等の被害箇所を重ねたものに、さらに旧地形を重ねたものです。旧地形の低湿地部を着色(ピンク)しましたが、この図から、液状化危険性の「ない」箇所の多くが旧地形の低湿地部に相当することが判明しました。このことから、液状化危険性の評価は旧地形の低湿地部を考慮するのが良いと考えられます。

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おわりに
行液状化の問題は重要であるにもかかわらず、当時はまだ認識が浅く、行政は殆ど対応が出来ておらず、市民にいたっては被災者はどうしていいか分からない状態でした。 市民は、行政は、NPOはどうすればいいのか、現在も各主体間の情報共有、協力関係、各種問題の課題解決が求められています。


資料
・地震による液状化に備えよう ―液状化についての知識を高めよう―  平成25年3月発行
・液状化対策へのエントランス ―「地震防災フォーラム・セミナー」より― 平成26年3月発行
・実態調査から見える被害状況 ―船橋の液状化被害はこうだった―  平成27年3月発行
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市民参画によるインフラメンテナンスの前進に向けて

市民参画フォーラム・事例WG  駒田 智久


インフラメンテナンス国民会議・市民参画フォーラムの3つのWGのうちの市民協働調査・分析WG (略称;事例WG) において実施した市民参画事例の収集と分析について記す。
〇事例収集の考え方と方法
・収集対象;「インフラ施設」の「維持管理」に係る活動を対象とした。「維持管理」としては、直接的には、点検・補修等の他、管理運営や維持更新計画等も含め、間接的には、維持管理に係わる教育・研修、市民啓発、技術支援、社会的発信等も含めるものとした。インフラメンテナンスは、最終的には「(施設の)点検・補修」という実践行為に至るが、市民参画の観点からは、対象範囲を拡げて考えることが重要であるとしている。なお、「市民参画」の「市民」には、団体・個人を問わず、多様なものが含まれると考えている。
・収集内容;必須事項として〔実施場所/市民活動の主体/活動の概略内容〕、また追加事項として〔協働行政部署/実施時期・期間/協働の経緯/協働の種類(領域と役割)/協働事業の段階/費用負担の具体/コーディネーター〕とした。
・収集方法;自主的な収集と、土木学会アンケート調査結果の利用の2つの方法に依った。前者は、主として市民参画フォーラム、特に事例WGのメンバーに情報提供を求めた。主としてマークした情報は、国民会議インフラメンテ大賞等の受賞、土木学会表彰(市民普請関係)などであり、一般メディアも含めた。一方で、土木学会シビルNPO推進小委員会は、各地域の市民協働の活動の中で、シビルNPOが有効に活かされることを願って、地方自治体、シビルNPO及び大学・高専を対象に、市民協働に関するアンケート調査を平成29年度に実施しており、その成果を利用させて頂くこととした。その内、地方自治体回答の438件(自治体数としては258件)を対象とした。
〇収集結果
対象施設と活動分野ごとに収集結果を表−1に示す。学会アンケートのうち、何らかの形でインフラメンテナンスに係る件数は全173件であったが、環境美化・清掃のみの活動も少なくなく、それらは一応除くこととし、その結果が78件である。そのうち整理対象としたのが17件、自主収集36件と併せて全53件となった。
・水・河川系;市民が係りやすい河川分野以外に、湖沼、水路やダム分野でも事例が挙がった。河川分野では実際の維持補修も実践している事例があるのは注目されよう。

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・道路系;道路分野では点検・情報が半数以上となっているが、一般維持管理や除雪、更には道路整備が挙がっている。橋梁分野でも、高欄の塗装とは言え、実際の補修作業が含まれている。
・地域・まちづくり系;公園や公共施設もここに含めた。公園では市民が参加しやすい維持管理分野が多くを占める。公共施設関係は1例である。まち・地域関係ではまちづくり分野が多く、他の計画対応や指針づくり、防災関係も数は少ないが挙がっている。 
〇横断的考察
・活動主体;参画する「市民」の分類と事例を表−2に示す。活動団体にも種々あることが分る。団体の種別で活動の分野は大きく変わることはないとみられる。特に道路を対象にした教育機関の関与が注目されよう。市民・事業者については特定の認定等を受ける場合や、何の資格も無くて登録するだけで参加できるものもある。地域住民の事例として単なる通報ではなく、福島県天栄村や南会津町のように一定の力が必要なもの(道路等の補修作業)もあり、注目される。

・学の関与について
事例には大学・高専および工業高校が専門的知識をもって参加・関与しているものもある。表−2のうち、福島県南会津町の橋梁に係る事例については「ふくしまインフラ長寿命化研究会」が関与している。同会の会長の日本大学工学部土木工学科の岩城一郎教授の主導のもと、橋に限定されず、道路も含んで、住民と学生の協働により多彩な活動を展開している。長崎大学の道守養成ユニットや、岐阜大学における「社会基盤メンテナンスエキスパート(ME)養成講座」も同様な事例と考えられる。継続性に心配がある市民団体に比し、大学等の場合はその懸念が小さく、活動の継続性を考える上では、学の関与は大きな意味を持つといえよう。

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・背景としての行政側の制度・事業
団体、個別の市民・事業者を問わず、活動を継続するうえで、重要であるのは管理者の支援である。表−3はその支援の内容ごとに制度的な事例を示す。一般市民の参画を得るためには、前提となるサービス提供が当然であり、DやEの支援は必須と言えるが、団体として期待するのはA〜Cの即物的な支援であろう。図−1はAの国交省のプログラムのスキームである。
ここで注目されるのはBであるが、土木学会でいう「市民普請」を促進するものと言える。このような取組みは農水省関係に多いと見られる(写真)。
なお、京都市では、「公共土木施設の維持管理に係る市民協働指針 みんなで守る“道・川・みどり”京のまち」を平成29年に策定している。

〇今後に向けて
事例WGが目指す姿は「インフラメンテナンスの事例や社会実験から新しい効率的な仕組みがつくられ、全国の自治体で採用され効果を上げている」である。事例収集はその第一歩的なものであるといえるが、先ずは、このように様々な市民参画の展開事例が有ることの社会的な発信が考えられる。
また、今回の分析は、多く、先に示した「必須事項」に基づくものである。「追加事項」については、収集方法の限界から一部の事例でしか把握できなかった。今後、幾つかの事例に絞り込んで、その活動組織および関係自治体にコンタクトして、核心的な情報の獲得を図り、現地での調査も行った上、さらにそれらの自治体や団体との協働についても、その可能性を検討する考えである。
なお、土木学会では「市民団体との協働活動促進のための方策検討」会議がスタートしている。また、このような動きを学問の対象とした研究もある。それらの動きとの関連も見据えた今後の活動とする必要が有ろう。

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第4回 鉄道の話―国鉄の民営化―

1872年(明治5年)新橋・横浜間に鉄道が開通し、明治維新の急速な近代化に拍車がかかりました。この時代の土木技術者は鉄道、港湾、河川を中心とした近代的なインフラ整備に邁進していました。鉄道事業は利用者から運賃を取って旅客や貨物を輸送することから、港湾整備、河川改修、道路整備などの公共事業と趣を異にしています。
日本の鉄道建設は、当初から国による建設と民間による建設が混在し、時に競争しながら進められました。そして1906年、全国的なネットワークを構成するため、骨格となる路線網を国有化しました。第二次世界大戦後の1949年、復員者の受け入れなどで肥大化した組織を立て直すために、運輸省管轄から独立採算経営とすべく公共企業体の国鉄へと移行しました。しかし、鉄道のインフラ整備には膨大な資金が必要であり、独力で新幹線や都市鉄道を整備することは大変難しく、現在でも様々な国の交付金や補助金の制度が組み込まれています。国鉄は財政面から独立採算を建前とした公共企業体という形が破たんし、経営面での法的な制約も多く、労働問題の多発やサービス面での遅れが重なり、1987年、民営分割されて現在のJR体制となり、以来30年、大きな発展を遂げてきました。
日本の鉄道がお手本としてきたヨーロッパの鉄道に、国鉄が貢献したビッグプロジェクトが二つあります。その一つは新幹線です。1964年、東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線の成功は、斜陽化したヨーロッパの鉄道再生に強いインパクトを与え、鉄道ルネッサンスと呼ばれるようになりました。二つ目が国鉄の民営化です。そのほとんどが国営・公営であるヨーロッパの鉄道に、再生に向けた大きなインパクトを与え、各国で民間企業の参入など活性化施策が相次いでいます。JR発足から30年を経て、本年2020年1月にフランス国鉄も市場開放も含めた新しい体制へと移行を始めました。 (代表理事 山本 卓朗)
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