2018年10月01日

旧地名から歴史を紐解く

img734.jpg
CNCP個人正会員 小松崎 暁子


こんにちは。私は普段、日本のアニメのライセンスビジネスをしておりまして、土木・建設に関して専門的ではなく一般市民に近い立場なものですから、このCNCP通信への投稿も素人的な話題になってしまいますが、よろしくお付き合い下さい。
今回は「旧地名」という話題を取り上げてみようと思います。
弊社の事務所がある台東区小島というところは1960年代まで「御徒町」と呼ばれていて、周辺は眼鏡店や宝飾店がとっても多く、この町の歴史を紐解いてみたくなったのです。
「御徒」って何?という疑問から調べてみると、戦国時代に馬ではなく徒歩で移動した下級武士のことだそうで、江戸城北方の護りとしてこの地区に多く住んでいたそうです。
幕末の頃になるとだんだん武士も生活が苦しくなり、内職のような仕事を請け負うようになります。春日通りを一本入った路地には革職人や江戸切子を卸しているお店も軒を連ねていて、時代劇の定番、侍が傘張りをしていたり、油売りや髪結い屋、一心太助のように天秤をかついだ魚屋や「とーふー」の豆腐屋などの物売りが行き来したり、賑やかな江戸の町を想像すると楽しくなります。
上野や浅草も近く、神社仏閣が集まっていることから神具仏具やお仏壇の装飾品を修理する仕事を頼まれることが多かったのではないかと言う人もいます。
その後、第二次世界大戦も終わり、米軍基地の横流し物資がアメ横で販売され始め、アクセサリーや時計の修理などの需要が増えたのでしょう。
歴史を探りながら小道を散策してみると、弊社のアニメビジネスと直結するキャラクターグッズを製造販売する老舗の職人さんとつながることができました。新しいアニメ業界も伝統工芸で表現すると今までにない世界が創造されて面白いものです。
さて、古くからの地名には先人の教えが伝えられていると言われます。何度も水害に見舞われる地名を遡ると「龍」「蛇」「沼」など水や川を連想する漢字が含まれていることも多く、「亀」「駒」などの地名も昔は低地や地盤の緩い地区だったことから地盤沈下や水害にあっているところがあるようです。
私の住む埼玉県吉川市も明治初期の頃は「芦川」という地名で、「芦が茂っている湿地帯」という意味であったと伝えられています。「平沼」「皿沼」「小松川」「川富」「川内」と、今も残る地区名から水害と戦ってきた歴史が伺えます。100年以上前から治水工事が繰り返され、技術的な進歩のおかげで今では家屋が浸水することはほぼなくなりましたが、近年の「数十年に一度の豪雨」などという異常気象には、想定の範囲を広げておかなくてはならない、と感じているところです。
皆さんも秋の夜長に縁のある地域の旧地名から歴史を紐解いてみてはいかがでしょうか。
posted by CNCP事務局 at 00:00| Comment(0) | 人文等
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: