2018年10月01日

第6回 浅草寺の時の鐘に「土木」

江戸後期の図録『集古十種(松平定信編)』に、鎌倉幕府を開いた源頼朝ゆかりの、当時は神仏習合の神宮寺であった鶴岡八幡宮と箱根権現(現箱根神社)の鐘の銘に「土木之殊功(永仁四年、1296年作)」「土木之勤(正和五年、1316年作)」が見える。ただし、明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈によって、前者は明治3年、後者は明治元年に打ち壊されて現存しない。
江戸後期の地誌『江戸名所圖會(齋藤月岑)』に、江戸初期に江戸城北東の鬼門に造営された東叡山寛永寺の鐘楼があり、林羅山による鐘の銘に「成土木之功(寛永八年、1631年作)」とある。ただし、この鐘も明治元年の上野戦争によって寛永寺の多くの伽藍とともに灰燼に帰して現存しない。
『江戸名所圖會』に「鯨鐘同所にあり二六時是を撞けり」とある浅草寺弁天山「時の鐘」は、将軍綱吉が命じて元禄五年(1692年)に改鋳されたもので銘に「起土木之功」がある。東京大空襲で鐘楼を焼失して表面に火の跡が残るものの再建された鐘楼(本年10月末までは解体修理中)で見ることができる。
銘は「今大樹幕下、承先公之事、起土木之功、命山城守戸田忠昌、使十郎左衛門尉建部昌孝、五郎左衛門尉三浦義成、八郎右衛門尉國領重清、薫匠事。」
読み下しは「今大樹幕下〔将軍綱吉〕先公のことを承り、土木の功を起こし、山城守戸田忠昌〔一六三二〜九九。老中〕に命じて、十郎左衛門尉建部昌孝・五郎左衛門尉三浦義成・八郎右衛門尉国領重清、匠事を薫ず。」である。
(土木学会土木広報センター次長 小松 淳)
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