2018年11月01日

第7回 明治官制で「土木」が浮上

鎌倉、室町から江戸と武家政権が続き、「土木」に代わって幕府の奉行職名である「作事」、「造営」、「普請」が使われ、「普請」は城、道路、堤防などをつくる意味にも使われるようになった。江戸中期の漢語辞書『雑事類編(柴野栗山)』(1764年)では、普段使われることばを見出し語として、それに対応する漢語を示しており「フシンスル 營造。興造。興作。土木」となっている。
それまで漢詩、漢文をたしなむ公家や学者が限られた範囲で使っていた「土木」が、明治新政府で公けに使われるようになった。現在に至る「土木」の直接の起源である。慶應四年(1868年)五月『太政官布告第三百九十五号』「國家多事之折柄軍資ヲ始メ總テ莫大之御費用ニ付土木之功ハ勿論 朝廷御用費ヲ始メ諸事御省略被 仰出候事」で公文書に「土木」が使われ、明治二年(1869年)五月に民部官のもとに「道路橋梁堤防等営作ノ事ヲ専管スルヲ掌ル」「土木司」が置かれた。「土木」の官職名は中国、日本の歴史上初めてのことである。
新政府は官報『太政官日誌』で布告の全国への普及をはかり、併せて新語辞書を出版した。慶應四年(1868年)官版『新令字解』に 「土木 トボク フシンヲスルコト」とある。戯作版元による絵入りの明治三年(1870年)『童蒙必読漢語図解初編』には「土木司 どぼくし おさくじをいふ」とある。
ここに「土木」という漢語は改めて「作事」、「普請」という意味も獲得して、その後、慣用よみの「ドボク」という発音で世間に普及していった。
(土木学会土木広報センター次長 小松 淳)
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