2019年03月01日

第11回 「建設」ということば

東京国立博物館で「顔真卿」展を見た。特別展示177点の名筆の中に14世紀初頭元の時代、蘇州の道教寺院玄妙觀の三門を修復した由来を記した『楷書玄妙觀重修三門記巻(趙孟頫筆)』があり、約500文字の碑文の中に「建設」と「土木」の文字があった。「是故建設琳宮」と「土木云乎哉」は訳すと「そのため琳宮を新しくつくった」と「土木(建物)のことであろうか」である。[注:東京国立博物館の画像検索「三門記」入力で閲覧可能]
「建設」は、五経の一つ前漢時代の『礼記』祭義篇の「建設朝事(朝の祭事を用意し整える)」が初出とされ、新しい仕組みや組織をつくることの意味で、また構造物を新たにつくりあげる意味にも用いられる。この碑文では、「建設」がつくること、「土木」がつくられたものとの使い分けになっている。
その頃の日本は鎌倉時代後期で寺社をつくる「造営奉行」、殿舎をつくる「作事奉行」が幕府の職制に置かれ、「建設」の用例を見つけることはできない。
幕末になって、横浜の週刊英字新聞『Japan Commercial News』を翻訳筆写した『日本貿易新聞(柳川春三)』第73号1864年8月28日発行に「鎮台を置ける処へ、相応の外国ミニストル館を建設せられん事を取計はん為に、」とあり、これが新たにつくりあげる意味の「建設」の日本初出である。
それまでは「たてる」(立・建)がたとえば『万葉集』に、「つくる」(作・造)が『古事記』にあるように共に古くから現代へと続く和語が優勢であったため、明治期の漢語の流行までは「建設」の使用が限られていたことによる。 (土木学会土木広報センター次長 小松 淳)
posted by CNCP事務局 at 00:00| Comment(0) | 人文等
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