2019年06月11日

第14回 「土木」を運ぶ

明治の初め、漢語が多用されるようになって漢語辞書が多数出版された。第7回で、慶應四年(1868年)官版『新令字解』に 「土木 トボク フシンヲスルコト」とある、と書いた。同時期の『日誌必用御布令字引』には「土木(ドボク)ヲ運(ハコブ) フシヲスルコト」とある。この「土木」は見出し語にカナが含まれる例外的な記述で、かつ説明の「フシン」の「ン」が脱字しているのか、「ヲ」が誤植か、疑わしいこともあって、信頼のおけるものか疑問に思っていた。このほか、同書中に「フシン」ということばは「脩城(シウジヤウ) シロヲフシンスル」「造營(ザウエイ) フシンスルコト」の説明文に出てくる。
改めて「運土木」を調べてみると、日本でもよく読まれた編年体の中国通志『資治通鑑』(1084年、司馬光)に「李希烈攻李勉於汴州、驅民運土木、築壘道、以攻城。忿其未就、幷人填之、謂之濕薪。(李希烈、李勉を汴州に攻め、民を驅りて土木を運び、壘道を築かしめ、以て城を攻む。その未だ就らざるをいかり、人をあはせて之をうづめ、之を濕薪といふ。)」とあった。唐の十二代皇帝徳宗(779〜805年在位)の建中四年(783年)に起こった李希烈の反乱にて、李希烈が百姓を土塁づくりに駆り立てては殺すという残虐な記述である。
同様の記述は正史の『舊唐書』(945年、劉昫)に「其攻汴州、驅百姓、令運木土築壘道、又怒其未就、乃驅以填之、謂之濕梢」とあり、ここでは、「土木」が「木土」となっていて、これも「土と木」の用例であることがわかる。
〈参考〉資治通鑑(1929、国民文庫刊行会)、舊唐書(1975、中華書局)
(土木学会土木広報センター次長 小松 淳)
タグ:歴史 地理 人文
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