2019年07月09日

働き方改革など制度づくりの目線は奈辺に

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シビルNPO連携プラットフォーム 個人正会員
日刊建設通信新聞社 代表取締役社長 和田 惠


左官職人だった父は生涯で13人の弟子をとった。九州の片田舎で、まだ徒弟制度が残っていた。同じ集落であれば自宅通いが認められていたが、基本は住み込みで、寝食を共にした。最後の弟子は同級生で通いだったが、家には中学時分までは常時、最低2人は住み込みの弟子がいた。職人に免状があるわけでもなく、親方で師匠の父の許しがあれば一人前の職人として独り立ちし、一家を構えることができた。戦後も10年以上が経ち、高度経済成長期に入っていたせいか、父は月々決まった給金を渡していたようだが、一般的には弟子にとってあってないようなものが定額の手当てだった。そんな中、中学卒で弟子入りした同級生は、20歳の成人式を前後に独立し、大阪に出て一家を構え、竹中工務店の出入り業者となり、ほどなく会社を旗揚げして数年前まで、孫請けとして羽振りをきかせていた。一方、12人目の弟子は4歳上の小生の実兄である。家督は長子の、この兄が継ぎ、左官や土工が主ながら会社法人に衣替えして40年以上、細々と工務店を営んでいる。

2人(兄と同級生)と同時期に働いていた兄弟子は3人だった。ほかにも職人はいたが、同門の兄弟≠ヘ5人というわけである。この兄弟子たちが、父が見ていないところで兄や同級生を殴るのを何度も目にしたことがある。その兄弟子たちには、中高生の夏休みや冬休みに現場を手伝いに行った時、バケツに入れたセメント(セメント粉と水だけで練った「ノロ」と呼んでいた)を木組みの足場伝いに2階に運ぶのが一呼吸遅れただけで「遅い!」と、有無を言わせず頭からかけられたり、手渡した直後に足蹴にされて2階の足場から突き落とされたことが何度かある。気性が荒く一本気で、親方の二男坊だろうがお構いなしだった。ただし、のべつそうかというと、仕事以外では正義感に燃え、気のいい優しい兄さんたちなのである。そんな気風やありようが好きなのが伝わっていたのか、普段は随分と可愛がってもらった。

時は移り、あの時代から半世紀近くになる。程度問題とはいえ当時は、世間的には「いじめ」や「パワハラ」の概念はなく、個人的にも意識さえなかった。しかし、現在に目を転じると、現場でストレスを溜め込むような環境が完全に払しょくされたわけではないだろう。職場に立場の優劣の関係は常にあるからである。それは個人間にとどまらず組織間にもある。だから、目線や立ち位置は低くなければならない、と思うのである。上からではなく、下からの積み上げに課題解決の本質的な道理があると確信するからである。そういえば、建設キャリアアップシステムや働き方改革などに素直になれないのはその所為か。
posted by CNCP事務局 at 00:00| Comment(0) | 人文等
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