■ はじめに 「土木マニア」とか「鉄道ファン」が多数いらっしゃる。私的には、「こんな建造物が、この場所に、何故に造られたのか?」という、そんな不思議な光景に胸がときめく。 私は広島市安佐南区に住んでいるが、この度は「身近な土木遺産」ということで、自宅から駅まで10分の「JR可部線」の歴史にも関係のある、「身近な話題」を紹介します。

■ 広浜鉄道とは 広浜鉄道とは、広島市と島根県の浜田市とを結ぶ総延長130qに及ぶ、「未完の陰陽連絡鉄道」の路線名である。(右図を参照)
広島県側は、明治39年に民間会社で横川〜可部間Ⓐが着工。国鉄に引き継がれ、戦争を挟んで昭和44年に三段峡Ⓑまで開通。
平成15年に可部〜三段峡間Ⓑが廃止。何と、平成29年に可部〜安芸亀山間1.6kmが電化により復活した。(Ⓐが現在の「可部線」の供用区間、右上の写真参照)
Ⓑ区間には、膨大な鉄道遺跡が存在するが、わずか十数年前の廃線を「土木遺産」と呼ぶのは、いささか興を削ぐので、この45kmに及ぶ廃線遺跡は今回は触れない。
今回のメインステージは島根県側の話題に着目したい。昭和8年に山陰本線の下府(しもこう)から着工され〜旭町までの「今福旧線」(青色のⒹ)を完成し、昭和15年に戦争で中断。昭和44年に浜田から「今福新線」(赤色のⒹ)として着手、昭和55年に工事中止となる。

■ 新幹線規格? 私は、今福地内の説明版に驚いた!
「幻の広浜鉄道」と題して、新線は「広島〜浜田間を55分で結ぶ『新幹線』として、昭和49年にⒹの区間を完成した」と書かれているではないか!(右下の写真参照)
そこで県境をまたぐⒸの区間について調べると、何と延長10kmの長大トンネル含む複数本、掘削工事に着手。工事の痕跡や縦抗などを現地で確認した。

以下の3点に照らして、余りにも大胆な計画に「自称;土木マニア」の胸がときめく。
■ @ 驚くべき土木構造物の展示場? 先行的に完成した、旧今福線(青色のⒹ)だが、地形が険しいため、トンネルと橋梁群で占められ、技術的難易度は土木の専門家でなくても誰でも解る。

■ A新線建設への挑戦? 次に不思議なのは、半端ない努力の傑作である、旧線を捨てて、何故に更に新線を建設したのか? 明解な説明文が見当たらないため、「土木マニア」としてとんでもない妄想を感じる次第である。
地政学的な観点から捉えて、陰陽を最短ルートで結ぶ「広島と浜田間」には西中国山地が立ち塞ぐため、当時はバスによる所要時間は3〜4時間を要した。特に冬季は1m以上の積雪があり、困難を極めた。今では中国横断道(広島浜田線)の高速バスで最速100分で結ばれる。しかし、現在の半分の55分という高速鉄道計画は、容易に信じがたい。

■ B標高1000mの山岳部を突破? 西中国山地を貫くⒸの区間には、延長10km、や8kmの長大トンネルに複数着手していた。現在ではリニア新幹線が、3000m級のアルプスをトンネルで抜く工事に挑戦しているが、昭和40年代の計画としては、信じがたいほどに大胆である。その痕跡は、今現在も中国山地の奥深くにひっそりと佇んでいるだけに不気味ですらある。(写真参照)

■ 何故にという疑問 さて、通常なら「土木遺産の紹介」なので、ここで終わりたいところだが、「読者を煽りまくっておいて、何だ!」というお叱りを受けそうである。 よって「何故にという疑問〜未来への考察」を含めて、あくまで「土木マニア」として5つの私見を並べました。
私は、土木屋ですが鉄道分野は専門ではなく素人です。おそらく読者には、鉄道界の有識者も多数いらっしゃるので、忌憚のないアドバイスなどを頂けると幸甚です。
@地政学的な観点 私は、「この国のかたち」「地域のかたち」という表現を好んで使いますが、「土木」のストラテジーの観点から、「広浜鉄道」に光を当ててみては如何でしょう。(右図参照)
A起終点特性 交通軸には「何処往きの列車」とか、「何処と何処とを結ぶ」という起終点が重要。つまり、「広島と浜田」とを最短ルートで結ぶことに特段の意味があったと思われる。
B広島とは 現在の広島は平和都市のイメージが定着していますが、明治から戦前(日清・日露戦争)は我国の軍事拠点として、大本営が設置され、広島は東名阪に並ぶ大都市であった。

C浜田とは 読者のみなさんは浜田市をご存知でしょうか? 奈良時代には下府駅の近くに石見の国府がおかれ、戦国時代以降は城下町、北前船の寄港地、明治初期に浜田県の県庁が置かれるなど、山陰の拠点都市として発展。朝鮮へは下関と並ぶ直近距離、第一級の水産都市でもあります。
しかし、近年は山陰地域全体が衰退し、山陰新幹線はおろか、高速道路(山陰道)も部分開通で、お隣の江津市は「本州で一番遠い都市」としての汚名を頂いているような状況です。
D 未来に向けて 広浜鉄道が幻で終わったのは大変に残念ですが、東京一極集中の弊害とリスクは、今回の「新型コロナ災害」、近い将来の「首都直下型震災」の重大リスクを回避する必要があります。そのため、私のNPOでは、「札・仙・広・福」を軸とする、「多極型の国づくり」を目指すべく、広島を軸に陰陽連絡新幹線の機運を高め、芸備線等の高規格化を推進したい考えています。
■ 広報活動の実態 この地域の衰退が進むにつれて、この「幻の広浜鉄道」に多くの方が感動され、近年は、その保存活動、案内板の整備、パンフレットの印刷、インタープリター(現地ガイド役)の養成講座など、多彩な取り組みをされ、研究会やシンポジウムも多数開催されています。
特に最近は、浜田市観光協会が「幻の広浜鉄道」や「今福線を巡る女子旅コース」などを企画し、広島の旅行会社では、ツアーバスを仕立てるなど、目を見張る活動ぶりです。

■ 私の取組 最後に「私との関わり」だが、現役時代にこの地域の主要プロジェクトを多数手掛けてきた経緯があり、この地域への愛着が大きく、「NPO法人州都広島を実現する会」でも、会員の現地案内を実施してきた。
また、私のNPOでは、パネリストに「地元大学教授」「新聞社主」「広島電鉄社長」+「浜田市長」をお呼びして、広島と浜田の交流など、地域づくりのシンポジウムを開催した。
ご希望があれば、何時でも現地をご案内します。
