専門に関する事柄は素人には理解が難しく、専門家であっても専門外のことを理解することは難しいので、専門家が誠実、公正であることが求められます。また、説明する者を説明される者が信頼をしていなければ、説明責任を果たすことはできません。そこで、専門家の能力や知見に基づく判断は適切であるという市民の持つ信頼と、それに基づいて安心して社会生活を送ることができているという市民の感覚がそれを委ねる基本となります。信頼とは道徳的秩序に対する期待であり、それは専門家の能力に対する期待と、専門家の意図に対する期待からなると言われています。能力に対する期待とは専門家としての知見の有用性に関係しています。一方の意図に対する期待とは、公平性、公正性、客観性、一貫性、正直性、透明性、誠実性、思いやりといったものです。」
この文章は、著者が“科学技術者あるいは科学技術に関して執筆した文章(公正研究推進協会によるe-ラーニング教材より.出典:山岸俊男:信頼の構造 こころと社会の進化ゲーム、東京大学出版会、1998年5月)について、”科学者・技術者“を”専門家“などと置き換えてみたものです。また、“専門家”を“政治家”としても、新型コロナウイルス禍が世界を覆っている状況で、自粛要請などが発出されるときの発出した者の意図は何かを考える時の参考になるように思います。
桜を見る会に関わる情報の遺棄や、森友問題に関わっての自殺者の出現など、政治がかかわったとの疑念が持たれている様々な事柄に対して説明が十分なされなかったり、調査が不十分なまま放置されたりしている状況は目に余るものがあります。そういった状況で、新型ウイルスが蔓延し、多くの犠牲者が出ている中で、権力を行使できる個人の意思により学校の一斉休校が要請されました。ところが、どのような科学的な根拠か不明なまま一斉休校要請は4月には解除となるそうです。また、オリンピックの開催が1年程度延期との方針が出た途端、感染爆発や重大局面との危機を訴える言葉がしきりと発せられるようになっているように思ってしまうのは私だけではないだろうと思います。
これらの動きの底にある意図が取りざたされるのは、ごく自然なことであると思います。政治における金や選挙にまつわる疑惑などに対する説明責任をしっかり果たしているとは言えないとの批判がある中で、政治家の意図に対して期待を持つことができるでしょうか。結局は、医療に関する専門性も、政治を動かす権力も持たない我々市民は、自衛をせざるを得ないということになるのでしょうか。大学では、遠隔授業の活用が不可欠な状況となってきました。新型コロナウイルス禍を教訓とできたと言えるように、社会の変革を実現する機会とする、強い意志と実現する力が問われています。
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