2020年11月01日

大阪万博のレガシー“太陽の塔”

 数年前、昭和世代には忘れられない“太陽の塔”に再会し、改めて紹介致します。   
 1970年(昭和45年)開催の大阪万博のシンボルとしてデザインされた高さ70mのSRC造(一部鉄骨造)の搭状施設ですが、多くのレガシーを築きました。
 3つの顔、黄金の顔/太陽の顔/黒い太陽が会場内を見つめ、海外の来訪者にも強烈なインパクトを与えました。高校生の私は、この顔に見守られながら、国内外のパビリオンを巡り歩いたのです。
 最近、耐震改修工事と内部再生事業が完了し、太陽の塔を有する万博記念公園の再出発に大きな期待が高まっています。
▼フレンズコーナーに続く。
(吉川 弘道)

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私が主宰する土木ウォッチングには、このような投稿記事を分類/公開しています(現時点にて1100件1800セッション)。
https://www.doboku-watching.com/
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2020年10月01日

最近の小事・・・無くしたもの・・・

シビルNPO連携プラットフォーム 正会員
宮崎県 有限会社 仁礼
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星野 隆幸


2020年は新型コロナで始まった、いまだに出口は見出せないでいる中、毎日新型コロナの名前が氾濫している。では、新型コロナとはいったい何者なのだろうか。コロナウィルス自体は、さほど珍しくないと言うか、毎年冬になると患者が増える風邪の原因ウィルスの一つなのである。ウィルスの表面に特徴的な突起物があり、その見た目、もちろん電子顕微鏡でしか見ることが出来ないのであるが、王冠(crown)に似ていることからギリシャ語の王冠を意味するcorona(コロナ)と付けられた。2019年中国で発見され今回の騒動の主である、コロナウィルスは、コロナウィルスの一種であるが、今までと違う性質の新しいウィルスなので「新型コロナウィルス(COVID-19)」と呼ばれるようになったのである。世界中で、沢山の方が感染され、沢山の死者を出していまだに衰えない厄介者なのである。日本政府も、「新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言」を発令し、感染拡大防止、各自治体も追随するように感染拡大防止に努力している。仕事も遊びも自粛の中、経験のない1年を皆が過ごしているのである。
さて、新型コロナは、風邪の新型なので、風邪の感染防止の第一は、安静にして寝ていることで、つまり隔離して他人と接触しないことだと単純な私は考えていた、法的な事、政府の事、経済の事等、難しい事は横に置いておく事にして、他人に感染させないようにするには他人に会わない事が一番いい方法であるのは間違いない、そしてそれを決断したのは、自分自身であり、家族であった、つまり、誰かに言われなくても行っていたのである。では、現在は、どのようになっているのだろうか、法律で決まったことだからだとか、何か理由付けが無いと動くことも出来ず、決断する事も出来なくなったのだろうか、他人に感染させないとは、他人を思いやる事、特定の他人で無く、自分以外全ての他人の事であった、自分自身以前に他人を考え自分自身で決断行動する事であった。今回のコロナ騒動で感じたのは、日本人の記憶の中に確かに持っていた何か大切なことをいつの間にか無くしてしまったのでは無いかと言う事である。

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東京日本橋に水天宮がある、安産と水難除けで有名なお宮さんである。知り合いの安産祈願に犬の置物を購入した、何の変哲も無い、手のひらに収まる大きさで、竹の籠を頭に乗せている。何故、安産祈願の置物になるのか、
@ 犬は、多産でお産も比較的軽いらしく安産の象徴
A 籠の形状は穴が多くあいている、穴で風通しがよく風が抜ける、風が抜けるから風邪が抜けるとなり、赤ちゃんが風邪を引かずに健康にすごすようにと言う祈願
B 籠の素材の竹、この竹が実は非常に大事で、竹以外では成り立たないのである、犬の頭上に竹製の籠を乗せている、漢字で考えてほしい、犬の上に竹、竹冠に犬つまり、笑と言う漢字になるのである。赤ちゃんが笑顔で暮らせる家庭はいつも幸せな家庭につながると言う想い。
どうであろう、日本人は、こんな小さな土人形と竹籠でこれだけ沢山の願いを肉親を含む他人に想いやることができたのである。

2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、今年も熊本球磨地方豪雨災害等と、自然災害が立て続けに日本を襲っている、特に2011年の東日本大震災発生時の日本人の行動は世界の人々から、これほど民度の高い国はないと賞賛を受け、21世紀の奇跡とまで言われたのであるが、最近の報道にみる日本人の行いはそれに見合っているのだろうか。お年寄りを狙った電話での詐欺事件、車を使ったあおり運転、ぶどう等の農作物や家畜を狙った窃盗、駐車している車へのいたずら、報道の良し悪しはこれも横に置くとして、なんと民度の低い事件であろうか、子供の頃、両親から教えられたのは、たった一つ、「他人に迷惑をかけるな」であった事を思い出すに、なんて深い教えであったのかをあらためて感じている。

最後に少しだけ近況を報告します。今年度から本格的に、地元にある宮崎大学と共同研究をする事になり、田舎の弱小企業としては大変名誉な事と感激すると共に責任を感じている所です。内容は、近年普及したUAV(ドローン)を利用した研究で、弊社は、熱感知赤外線カメラを搭載したドローンで協力することになっています。
地元日南市に熱感知赤外線カメラ搭載ドローンを所有する企業は無く、まだまだ、ノウハウも未熟でありますが日々精進中です。

赤外線写真のサンプル
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第9回 見沼たんぼと代用水と通船堀

シビルNPO連携プラットフォームサポーター/アジア航測
土木学会 教育企画・人材育成委員会 シビルNPO推進小委員会委員
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大友 正晴


「見沼代用水・見沼通船堀」と言っても地元以外の方は、ご存じないと思います。筆者は、浦和市(現さいたま市)で生まれ育ちました。小学3〜4年生の頃に社会科の授業で見沼代用水・通船堀を習い遠足で訪れています。当時の見沼代用水・通船堀は、ただ田んぼの中にポツンと水路があるだけで、とくに遠足で行ったという記憶以外ありませんでした。そんな見沼代用水が、2019年9月4日に国際かんがい排水委員会(ICID)国際執行理事会において、「世界かんがい施設遺産」に登録されました。見沼代用水・見沼通船堀は、整備当時の土木技術を駆使した施設でもあります。

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■世界かんがい施設遺産とは
かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全に資するために、歴史的なかんがい施設を国際排水委員会(ICID)が認定・登録する制度で、2014年度に創設されました。
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1.見沼たんぼ・代用水・通船堀
見沼田んぼは、右の「経路略図」のように、さいたま市東部の芝川沿いに広がる水田地帯で、江戸時代に約1,200Haの新田として開発されました。見沼代用水はその水源として整備された延長約60kmの水路です。現在でも見沼代用水は、見沼田んぼをはじめとした流域の水の供給源として機能しています。
見沼代用水は、利根川から取水(見沼代用水元圦・増圦)して既存河川の利用と新たに掘削した用水路で構成されています。途中の河川との分合流・横断には堰を設けたり(十六間堰、八間堰)、伏越し(サイフォンと言って地下横断するしくみ)(柴山伏越)、河川を跨ぐ(瓦葺掛渡井)など土木技術を駆使して整備されました。瓦葺からは田んぼの東側と西側の縁沿いに分かれて整備され通船堀に至るものです。

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見沼代用水経路略図
「見沼代用水と見沼通船堀」パンフレット
(さいたま市教育委員会編集発行)より

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現在の利根川取水後の分水
(左から埼玉用水路、武蔵水路、見沼代用水)

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現在の十六間堰(左)と八間堰(右)
(見沼代用水は右の八間堰に流れます)

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現在の柴山伏越
(上)元荒川を地下横断
(黄色の点線)している
(右)伏越し下流側

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瓦葺掛渡井跡(左)と現在(右)は綾瀬川を伏越手前の水門(東縁・西縁に分岐)

見沼通船堀は、見沼田んぼの南に位置して田んぼの東西縁の水路と田んぼのほぼ中央を流れる芝川とを結ぶ運河です。見沼通船堀によって荷物の輸送、特に年貢米輸送などの物流を担いました。

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2.見沼代用水・見沼通船堀の歴史
見沼たんぼは、江戸時代初期には農業用水のため池「見沼溜井」として整備されていました。その後八代将軍吉宗による享保の改革の一環として幕府の財政改革を図るため、見沼溜井の新田開発が井沢弥惣兵衛為永に命じられました。井沢弥惣兵衛為永は見沼溜井の代わりとなる水源確保のため利根川から水を引く見沼代用水を築造したのです。

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(右)井沢弥惣兵衛の像(見沼自然公園にて)
(下)井沢弥惣兵衛の墓(柴山伏越脇の常福寺)

見沼代用水の整備と同時に、見沼通船堀は、江戸への米の輸送など舟運のため、見沼代用水と芝川を結ぶ運河として整備されました。しかし見沼代用水と芝川との水位差があるため「閘門式」と呼ばれる方法がとられました。なお、見沼通船堀は、見沼溜井の際の八丁堤が設けられた北側に整備されました。八丁堤には「赤山道」が通っており、陸上と水上の交通の要所となっていました。見沼代用水・見沼通船堀を使った通船は、昭和初期まで続いていました。

3.見沼通船堀の構造
見沼通船堀は、先にも述べましたが、見沼田んぼの東縁と西縁に流れる見沼代用水と田んぼの中央を流れる芝川を結ぶ約1kmの「閘門式」運河であります。見沼代用水と芝川とは約3mの高低差があります。この高低差を調整するために東西に木製の関を設けて水位調整することで通船を可能としました。

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見沼通船堀(閘門式運河)の模式図
(さいたま市HPより)


筆者が小学生の頃には、木製の関などがあったのか定かではないくらい目立たないもので、当然のこと、「閘門式」の仕組みなどは全くわかりませんでした。ただ授業で、パナマ運河よりも古い世界最古の運河だと教わりました。今では、世界的にも見沼通船堀よりも古いこの閘門式運河があることが分かっています。現在見沼通船堀は、木製の関などが復元され往時をしのぶことができます。毎年8月には「閘門開閉実演」を行っており、見沼通船堀の仕組みを知る機会もあります(今年は中止されました)。

4.見沼田んぼをあるく
かつての見沼たんぼは、様変わりしつつあります。近年では、公園施設(市民の森、大宮第二公園、合併記念公園、大原サッカー場、七里総合公園、見沼自然公園などなど)、公共施設(さいたまクリーンセンターなど)、学校、病院などと用途も多岐にわたってきています。
しかし、まだまだ自然も豊かで、いまだに水田・畑など耕作地として使われている所もあります。また、野鳥の宝庫として60種類以上の鳥類を見ることができます。先日新聞に見沼田んぼに狐が50年ぶりに帰ってきたとの記事が載っていました。狐がいるという事は、その他の小動物なども戻ってきた証拠だと言ってました。
見沼代用水沿いには桜が植えられており筆者も桜の下を何度も通っております。地元では平成25年度より「サクラサク見沼田んぼプロジェクト」として桜の植樹を進め、総延長約20kmを超えた日本一の桜回廊が形成されました。筆者も開花時期には桜のトンネルの下を車で通ることがありますが、とても壮観で美しい世界を味わうことができます。

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(左)中山神社    (右)氷川女体神社

また、見沼田んぼ周辺には氷川女体神社をはじめ神社仏閣も多くあり、博物館、農産物販売所、飲食店など、散歩するにはもってこいの環境にあります。
皆さんも一度散歩をしてみませんか。

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■唱歌「案山子」発祥の地記念碑
「山田の中の一本足の案山子〜♪」という歌詞はどなたもご存じの童謡ですが、この作詞者が地元出身の武笠 三です。記念碑は、見沼氷川公園内にあります。
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■参考資料
@見沼〜水と人の交流史〜、令和元年10月、さいたま市立博物館
A見沼 その歴史と文化、平成12年8月、浦和市立郷土博物館
B見沼代用水と見沼通船堀、2010年8月、さいたま市教育委員会
C見沼通船堀、2008年9月、さいたま市教育委員会文化財保護課
D見沼通船堀 再整備事業の概要、2019年5月、さいたま市教育委員会文化財保護課
Ehttps://www.city.saitama.jp/004/005/006/
008/ index.html「見沼通船堀」
F見沼田んぼ見どころガイド―2020―、令和2年3月、さいたま市都市局計画部見沼田圃政策推進室
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